古九谷を追う&古九谷を残す

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信長は逃げおおせた

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光秀に織田家の天下を奪取させてたまるものか。もはや信長の頭にはそれしかありませんでした。

光秀の襲撃を知るや、信長はその場で御殿に入り、小姓たちとともに敵を迎え撃ちます。そして防戦敵わずと知るや、信長は「女」を逃し、女に紛れて、信長は逃げます。

信長はどこに逃げたのでしょうか?

人のいないところ、人のいないところへと逃げました。

そして逃げの常套手段は火をかけることです。本能寺は猛火に包まれます。

地の利は信長にありますから、信長は敵に構わず逃げました。

信長ともあろうものが、人生の最期を締めくくる言葉が「諦めた」であろうはずはありません。

たしかに想定外は山積みです。敗北するときには、マイナスの想定外が連鎖的に起こりますし、勝利するときには、プラスの想定外が連鎖的に起こるものです。

敗北も、勝利もそういうもので、その敗北をするために、かつての数々の勝利があったのですし、また、その勝利をするために、かつての数々の敗北があったのです。

敗北とはそういうものですし、また、勝利とはそういうものです。

信長はすぐ光秀への対抗策を取りました。

光秀の長所を防ぎ、こちらの短所を長所に転換させようとしました。

信長は逃げることを恥とはつゆも思ってはいません。

信長は戦うという選択肢を捨て、火をかけ、女に紛れ、小姓が防波堤となり、一目散に逃げ出したのです。

信長は援軍を待とうとしたでしょうか? 近くに嫡男の信忠が、秀吉の中国攻めの援軍として、3000の兵を引き連れていました。しかし、信長は光秀の襲撃を信忠の襲撃だと勘違いしていた向きもあり、吉良のように炭小屋に隠れませんでした。

信長が逃げたのは本能寺の地下で、地下は火薬倉庫になっていました。

信長の遺体がないのは、大量の火薬が爆発したのだと言われています。

信長は首を渡さないことだけを考えました。捕まり、光秀の前に引きずり出されたくはありませんでした。

信長の首が三条河原に晒されれば、信長の天下が終わり、光秀の天下が始まる宣言だからです。信長の天下どころか、織田家の天下までもが終わりかねませんでした。

信長は逃げました。そしてついに逃げおおせたのです。光秀は信長を見つけることはできませんでした。遺体が火や火薬で判別不能だったのかもしれませんし、アナザーストーリーがあるやも知れません。

とにもかくにも信長は対処方法を間違えなかったのです。未だに遺体の行方がわからないくらい完璧でした。そして光秀から逃げおおせた勝者として、この世を自害して去ったのです。

本能寺での信長の「逃げる」は、われわれの逃げるとはまったく別次元の考えでした。まさか逃げることが、自害することだとはわれわれには思いもつかないことです。

一方イチローですが、東京ドームでファンから感謝の大きな声援を受けて、日本野球界の勝者として引退しました。しかし、イチロー自身は敗者としてメジャーリーグを去ったと思っているに違いないのです。

  • 古九谷を追う 加賀は信長・利休の理想郷であったのか(幻冬舎)抜粋

本能寺の変の信長最期の言葉 是非に及ばず 

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茶会の翌日の未明に光秀(内蔵助)は信長(上野介)を襲います。

信長は「いかなる者の企てか」と蘭丸に訊きます。蘭丸が「明智……」と答えるやいなや、信長は「是非に及ばず」と言うのです。

信長の小姓はみな討ち死にしました。

ところがこの襲撃から逃れでた人物がいるのです。

「楢柴肩衝」の博多の豪商島井宗室と供の神屋宗湛です。

意外なところでは黒人家来の弥助もいますが、弥助はもともと信忠に援軍を求める伝令でした。

 ということは……。

信長は逃げようと思えば逃げられるのです!

逃げ延びる余地はあったのです。

信長の人生最期の局面です。

信長のすべての能力が爆発しました。

危機突破が信長の真骨頂です。ですから、越前金ヶ崎のときように単騎一目散に信長は逃げました。そして信長は逃げおおせたのです。

勝利の予感の中で戦う信長が、本能寺では、敗北の予感の中で戦ったのでしょうか?

 相手は配下の光秀です。

しかし、信長は、敗北の予感の中で戦ったのではありません。

信長は、勝利の予感の中で戦い、ついに信長は勝利したのです。

  • 古九谷を追う 加賀は信長・利休の理想郷であったのか(幻冬舎)抜粋

大石内蔵助は本能寺の変の真相を知り、光秀の手法を真似た

 

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ところで私は大石内蔵助本能寺の変の真相を知っていたと思うのです。

それゆえ内蔵助は吉良上野介を茶会の翌日の未明に襲うのです。 

あるいは、信長を黒幕が誘き寄せたかもしれませんが、とにもかくにも光秀が茶会の情報をどこからからのルートで入手したのです。

信長が安土に対毛利の秀吉応援軍を置きっぱなしにしてまでも、大雨のなかを小人数で急いだのは、博多の豪商「島井宗室」に会うためでした。

宗室が持つ伝説の茶入れ「楢柴肩衝」が欲しかったからです

天下には三つの肩衝があり、信長は二つまでは持っていましたので、楢柴が揃えば、コンプリートです。

信長は楢柴が入手できると思って、大雨の中を喜び勇んで本能寺へと急いだのです。

  • 古九谷を追う 加賀は信長・利休の理想郷であったのか(幻冬舎)抜粋

信長は本能寺に島井宗室に会うために上洛した 

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 いよいよ本能寺に向かいましょう。

天正10年5月29日(この年の5月の最終日)、大雨の中、信長はわずかの小姓衆のみを率いて上洛します。そして本能寺に宿泊します。

6月2日未明、本能寺の変が起こり、信長は明智光秀の大軍に自害に追い込まれます。

 本能寺の周囲には堀が張り巡らされていたとはいえ、岐阜城安土城ではありません。

 信長は油断を突かれてしまいました。

頭脳明晰な信長とはとても思えないとも言います。

しかし、ほんとうでしょうか? 信長に限ってそんなことがあるのでしょうか?

圧倒的な努力をするのが信長です。

圧倒的に周到な準備をするのが信長です。

信長は入念な準備をして、小姓衆のみを率いて上洛したのです。

では、それは何のためにでしょうか?

茶会をするためです。

小姓に「大名物茶道具」38点を持たせたのです。

  • 古九谷を追う 加賀は信長・利休の理想郷であったのか(幻冬舎)抜粋

くり返しくり返す小さな敗北 くり返しくり返す小さな勝利

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信長は勝利の予感の中で勝利してきました。

信長はオールラウンドプレイヤーでもあったでしょうが、私は欠点をうまく処理するのが、信長の「戦争論」では、1%の長所だと思っています。

 岐阜城制圧前の信長はくり返し美濃の斎藤氏に戦争を仕掛けていましたが、負けることも多く、桶狭間での勝利から岐阜城征圧までに、7年もの月日がかかってしまいました。

 とはいえ、負けても信長には深いダメージはありません。怯むどころか、斎藤氏を執拗に攻め続けました。意外かもしれませんが、信長は小競り合いが得意だったのです。

 周到な戦の準備をして、信長はくり返しくり返し美濃に侵攻していました。日々の準備が完璧であれば、信長は自ずから勝利が転がり込んでくることを知っていました。

 そのことも勝利の予感の中で勝利するというのです。

圧倒的な時間を準備にかけ、自分の努力を客観的な視点で絶対評価して、本番に勝つことも勝利の予感の中で勝利する、です。

しかし、その勝利はくり返しくり返す小さな敗北があってはじめて身についてきたものであることを忘れてはいけません。

ところが岐阜城以後の信長は、小さな敗北の上に立つ勝利ではなくて、小さな勝利の上に立つ信長に変化しているのがわかります。

  • 古九谷を追う 加賀は信長・利休の理想郷であったのか(幻冬舎)抜粋

信長は攻撃スタイルではなく防御スタイル

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信長の優れているところはバランス感覚です。長所と短所を客観的な視点で絶対評価できるところです。

また長所をバージョンアップ的な方法で身につけるをことを避け、むしろ欠点を克服することに目を向けたところです。

しかも欠点の克服の仕方が、信長的なのです。

信長は桶狭間こそ攻撃しましたが、長篠にしろ、鉄甲船にしろ、信長は攻撃するのではなく、防御を固めました。

信長は自軍の欠点の克服のため、防御を中心とした攻撃プランで戦うのです。吉田氏のような攻撃スタイルではなく、山下氏や貴乃花氏のような防御スタイルなのです。

 長篠では武田騎馬軍団の突撃を防ぐために三段防御柵を設けます。また、毛利軍との大坂湾決戦では、村上水軍焙烙火矢を防ぐために、木造の船に鉄板を貼りつけます。

 防御柵を設けるだけですし、鉄板を貼り付けるだけなのです。

信長は防御の根幹がわかっているので、具体策はあっけないほど簡単です。

そうでなければ、欠点の克服には、時間もかかりますし、費用もかかってしまうのです。

そうそう、お市の小豆の袋(信長が袋小路に陥り絶体絶命のピンチに陥る)のとき、信長は単騎一目散に、越前金ヶ崎から京に逃げ帰ります。なんとも安上がりな防衛策でしょう!

信長の戦いは別次元ですから、後世のわれわれさえもわかりにくく、当時の彼らはキツネに取り憑かれたようにアッというまに壊滅状態だったことでしょう。

  • 古九谷を追う 加賀は信長・利休の理想郷であったのか(幻冬舎)抜粋

信長は相手の得意技を封じる

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 信長は大坂湾で村上水軍の得意技の焙烙火矢を封じたのです。長篠でも、武田の得意技の騎馬隊の突進を封じたのです。つまり、相手の得意技を封じるのが信長です。

長所など封じられて終わりです。

封じられない長所、それこそが1%の長所なのでしょうが、その話は信長やジョブズの話で、われわれの長所など、すぐ短所になりうるのです。

よく信長は鉄砲で天下を獲ったと言われますが、それは誤解だと本文に書きました。信長は、反対に、鉄砲に苦しめられたのです。

 そもそも信長が鉄砲に着目したのは織田兵が弱かったからです。傭兵に応募したのは喰いっぱぐれたホームレスです。そんな浮浪児や傾奇者に鉄砲を持たせよう。信長は客観的な視点で彼らを絶対的に評価したのです。彼らの欠点を冷徹に見つめ、その上で、彼らを活かすのが、鉄砲を集団で使う信長の画期的な戦術でした。

  • 古九谷を追う 加賀は信長・利休の理想郷であったのか(幻冬舎)抜粋

信長には「得意技」がなかった 

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 さて、桶狭間でも、長篠でも信長は勝ちました。

では桶狭間とはどんな戦いだったでしょう? 奇襲? 正面突破? はたしてどちらだったのでしょうか? 

長篠とて同じです。鉄砲の三段撃ちはほんとうにあったのでしょうか?

 信長の「鉄甲船」は大坂湾でどのような戦いをしたのでしょうか?

ところで、霊長類最強女子を誇った吉田沙保里氏は、得意技の高速タックルを封じられて負けました。相手選手はあろうことか、吉田氏の親指を取ってきました。

 得意技など、じつは知れたものです。得意技を封じられて負けた最強のチャンピオンは、ボクシングでも柔道でも、一人や二人ではありません。

 得意技など、じつは知れたものです。得意技を封じられて負けた最強のチャンピオンは、ボクシングでも柔道でも、一人や二人ではありません。

 私の言いたいことは、信長には、得意技がなかったということです。

 得意技がないので、われわれはどうやって桶狭間や長篠で信長が勝利したのかもわからないのです。

 柔道で吉田氏と同じく国民栄誉賞受賞者の山下泰裕氏の得意技を思い出せますか? 貴乃花氏の得意技は何でしたか? 

思い出せないでしょう? それくらい山下氏も貴乃花氏も強かったのです。

いや、信長はすべての技が得意技だったのです。

なぜなら、信長の技の足が揃っているからです。すべてが得意技というレベルだったの

です。

  • 古九谷を追う 加賀は信長・利休の理想郷であったのか(幻冬舎)抜粋

信長は勝つ予感のない戦いはしない

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今度はイチローを思い出してください。年間262本のヒットを打ったときでさえ、イチローはガッツポーズをしたでしょうか? 

信長は、もしかしたら、桶狭間ではガッツポーズくらいはしたかもしれませんが、長篠でも、一乗谷でも、イチローであったと思うのです。

信長は勝利の予感がある戦いでなければ、決して戦場には出ませんでした。

つまり勝つ予感のない戦いは信長はしなかったのです。

イチローは勝利の予感(ヒットを打つ)の中で、勝利している(ヒットを打っている)のです。

信長も、イチロー同様、勝利(相手を壊滅させる)の予感の中で、勝利している(相手を壊滅させている)のです。

では、勝利の予感の中で勝利するとは、どういうことをいうのでしょうか?

学生時代の学習を例に取りましょう。まず得意科目をつくる。その次に不得意科目に焦点を当て、その不得意科目に時間をかける。点数があがるまで努力する。

その上で、さらに得意科目の点数をあげる……。

そうやって生徒はオールラウンドプレイヤーになっていくのです。す。そして成績を下げられない重圧を背負って学習することが、子どもたちができる勝利の予感の中で勝利する体験だと私は思っています。

  • 古九谷を追う 加賀は信長・利休の理想郷であったのか(幻冬舎)抜粋

短所と長所はトレードオフ

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 ところで、かつてとんでもなく強いボクサーがいました。マイク・タイソンです。まるで野獣でしたが、攻撃されたら弱かったのです。それで、あっけなく消え去りました。

 すべてはトレードオフです。

 タイソンが攻撃が強かったのは、防御が弱かったからです。攻撃と防御はトレードオフなのです。つまり、攻撃が強いのは、防御が弱いからです。

 ですから、攻撃が強いといったところで、あるいは防御が強いといったところで、それはたいした価値でもないのです。

 長所の裏には短所が隠れているからです。

 と同時に、短所の裏には、長所が隠れています。

厳しい頂上決戦では欠点のせめぎ合いになりますが、同時に、長所を封じるせめぎ合いにもなります。

  • 古九谷を追う 加賀は信長・利休の理想郷であったのか(幻冬舎)抜粋

 

欠点に目を瞑ってはいけない

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 信長は秀吉や勝家・利家の長所を伸ばすことだけを重んじているわけではありません。

 人生で勝つには、あるいはビジネスで勝つには、自分の武器をピカピカに磨くことも必要ですが、同時に、欠点にも目を瞑るわけにはいかないのです。

99%の長所を1%の短所がすべて破壊する、からです。

  • 古九谷を追う 加賀は信長・利休の理想郷であったのか(幻冬舎)抜粋