古九谷を追う&古九谷を残す

週1くらいの更新になります

信長は初期化する

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 まず初期化から始めます。

信長は人の話を聞くときは、己を初期化して、聞きました。

己を初期化してまで話を聞きたいと思わない輩とは、信長は口を聞こうともしませんでした。

信長はいいとこ取りをしようとして、人の話を聞こうとはしませんでした。

 いいとこ取りはいけません。いいとこ取りとはつまみ喰いです。信長はつまみ喰いはしませんし、つまみ喰いを許しません。

バージョンアップなどしないのです。

 信長はフロイスの話を、自分を初期化して聞きました。

信長は訊き上手でもあり、聞き上手でもあったのです

初期化の対義語はバージョンアップです。

信長はバージョンアップを許しません。バージョンアップはつまみ喰いで、いいとこ取りだからです。

フロイスの本音を聞き出せたのも、信長が自分を初期化して、フロイスの話を聞いたからです。そして、キリスト教の凄まじい「人間観」を知ったのです。つまり、白人のみが人間であり、キリスト教徒のみが人間であり、しかし、有色人種は人間ではなく奴隷であり、異教徒は悪魔ゆえに殲滅せよ……。

 信長はそんな彼らへの対抗策を講じました。日本を封建制から資本主義国家へ誘い、「富国強兵」・「殖産興業」の旗を立てました。それが「天下布武」・「永楽通宝」の旗印で、ここは信長の圧巻なところです。本文で述べた通りです。

 

  • 古九谷を追う 加賀は信長・利休の理想郷であったのか(幻冬舎)抜粋

信長は勝利の予感の中で勝利している

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 圧倒的な努力をするのが信長です。

では、圧倒的な努力とはどういう努力をいうのでしょうか?

また、圧倒的に周到な準備をするのが信長です。

では、圧倒的に周到な準備をするとはどういう準備をいうのででょうか?

 私が得た結論は「信長は勝利の予感の中で勝利している」ということです

 つまり、「勝利の予感」が持てなければ、まだ圧倒的な努力をしてはいないということです。

また、「勝利の予感」が持てなければ、まだ圧倒的に周到な準備をしていないのです。

 

  • 古九谷を追う 加賀は信長・利休の理想郷であったのか(幻冬舎)抜粋

 

 

 

欠点を補ってあまりある長所があるか

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つまり、信長はいいとこ取りを許さなかったのです。

カラスはカラスとしてピカピカになればいいのです。カラスはカラスとして腕を磨けばいいのです。白鳥の真似をする必要がないばかりではなく、むしろ信長は絶対に真似は許さなかったのです。

カラスはカラスで、真っ黒いカラスのままでいいのです。欠点は欠点のままでいいと言うと誤解を招きそうですが、欠点を補ってあまりある長所があるのか? そこを信長は問題にしているのです。

99%の欠点を1%の長所がすべて補っている。

 しかし、とはいえ、信長とて、その1%を初めから持っていたわけではありません。それならば、信長はいったいどういう道を通り、われわれが知る天下の信長になったのでしょうか?

 あるときから、私はそこがとても気になり始めました。

 

  • 古九谷を追う 加賀は信長・利休の理想郷であったのか(幻冬舎)抜粋

信長は灰色の白鳥カラスを許さない

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 秀吉も勝家・利家もボスは同じで信長です。

 信長は二人のそれぞれの戦争論を容認していました。

 おもしろいとは思いませんか?

 信長は合理主義で有名です。コンビニのような金太郎飴の戦いをしそうですが、事実はまったくそうではありません。

 ところで白い鳥と黒い鳥の例え話があります。白鳥とカラスです。

ふたつの組織が混ざり合って、灰色の白鳥カラスになってはいけない。そんな教えを諭す例え話です。

秀吉が極刑をしたり、勝家・利家が水攻めや日干しをしてはいけないのです。信長は灰色の白鳥カラスを許さなかったのです。

そこが信長です。

 

  • 古九谷を追う 加賀は信長・利休の理想郷であったのか(幻冬舎)抜粋

秀吉の水攻め・日干しと勝家・利家の極刑

 

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私には秀吉が戦をしているイメージがあり

ません。

せいぜい水攻めか日干しです。本能寺の変

直後の山崎の戦いで、秀吉はいったいどんな戦

をしていたのでしょうか? そこにこそ秀吉の

秘密がありそうですが……。

 

一方利家です。利家はご成敗、根切り、磔刑

(槍で突き刺す)、釜煎り、火炙りです。目を覆

いたくなるほどの極刑を利家はやっています。

利家に殺された農民の身内は後世への告発文

(利家の極刑の記録)を「瓦」に焼きつけて、

寺の屋根の上に残したほどです。この当時の利

家は一前線部隊の将として柴田勝家に追随する

武将でした。

 

  • 古九谷を追う 加賀は信長・利休の理想郷であったのか(幻冬舎)抜粋

◇ あとがきにかえて 本能寺の変に挑む

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「あとがきにかえては」は「もしドラ」で有名な岩崎夏海氏『競争考 人はなぜ競争するのか』(心交社)の「勝利の予感の中で勝利する」に着想を得ました。

感想 その2

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●●
読み終わりました。達成感、満足感とともに、一抹の寂しさも感じました。もう、この二人の世界を共有することができない。二人と言いましたが、Nさんは、実在の人ですか?
こんな素敵な本に名前を入れていただき嬉しいです。古九谷の部分は、ネットで、写真を見ながら読みました。西野さんから以前、芸術論、聞いたっけ? 新鮮でした。芸術、歴史だけではなく、哲学、経済学、経営学など色々な知識が披露されてました。話がとんでも対話形式だと違和感もなく読めました。ただ、私に知識がないため定説なのか西野さんの独自の解釈なのかが分からない部分もありました。楽しかったです。信長や前田家三代、特に名前すら知らなかった利常、陶器にも興味が湧きました。読み返します。今度はもっと時間をかけて。
信長・利休の青手を注文しました。
とてもきれいでびっくりしました。

●●
西野さんの博識、話の展開の巧みさ、表現力の豊かさなど、
敬服しながら読ませていただきました。
信長の捉え方もさることながら、前田家の歴史の概要がよくわかりました。
徳川家の戦略も知恵者がいたのですね。関ヶ原、豊臣、キリシタン、この三つに対する徳川の戦略は、私見ですが的を射ていると思います。
次の鉄郎饅頭も楽しみにしております。

●●
「古九谷を追う」は、信長や利家、秀吉が登場する歴史の中でも華やかな時代で、関心を持って読みました。知っているようで、知らないことがたくさんあり、私はすっかいN君になって西野先生のご講義をたのしく拝聴しました。対話方式でN君の素朴な疑問い分かりやすく応える形が新鮮ですね。加賀前田家が存続できた理由の分析には特に興味を惹かれました、西野さんは語学だけでなく歴史にも造詣が深く感嘆しました。織田信長が魅力あふれる人物として描かれていましたね。次回に向けて何か温めていらっしゃるものがあるのでは? 期待しています。

●●
ご苦労作「古九谷を追う」を送りくださりありがとうございました。野心的な信長見直し論に古九谷をからませ、全体を通して前田家三代の文化立国を論じている点など、とても大きなスケールの歴史館に関心しました。

●●
たしかに 前文は面白かった
あの時代は 男同士の情交率は 今のタイ並みだったでしょうね
しかしだなあ 読み進めていくと苦しかった
問答形式になっているのだが キャラが立ってないから
著者の書きたいことを対話形式にしているだけ
古九谷は図版が欲しいところ
伊万里とここが違う!は 絵で見るのが一番かと
あの時代の歴史ものは「キリンが来る」じゃないけど
いろいろな推理ができるから面白い
前田家 ずいぶん調べたみたいですね
石川県の人たちには興味深いかもしれない…

●●
きょう●●●センターに一週間ぶりに出勤したら
西野さんからのメールに作品の下書きがあり
一仕事終えた後、一気に最後まで読みました。

前半が圧倒的に面白く古九谷論ではなく
書きたかったのは信長論だったんだと気づきました。
フロイスの話を聞いてキリスト教帝国主義を感じたことや
「茶器」の領土化など信長を語って縦横無尽、
大変面白く読みました。

前田3代、利常は「霙」もなかなかな表現でした。

フロイスからフェルメールゴッホまで
私は専門家ではないので、歴史的裏付けは分からないのですが
想像力に頭が下がりました。

また「古九谷」にも良いものとそうでないものがある
そこに古九谷の真実に迫るヒントがあるのだと推察しました。

取り敢えず、ありがとうございました。

 

●●この先もその大きなスケールの歴史観で本を著してくれ。
何年もかけて調べ上げ、熟考した結果の本であることはすぐにわかった。
よくぞやった。

それにしても、学生時代から基本的に変わらないなあという印象だ。
精神性と創造物で評価されたいというのも、信長や勝利に憧れるのも西野らしい。
きっと評価されるよ。

人はそれぞれモノの見方が違うので、西野の見ている、あるいは見たい世界と
私のそれとは当然違ってくるだろう。
私も魂からモノを見ることはあっても、西野のように政治面からモノを見ることはないから、
その視点の違いもおもしろかった。

古九谷の写真は、私も探してみて、西田宏子『日本陶磁大系第22巻』のPDFで見つけた。
本物を見たわけではないので、正確なところはわからないが、写真を見る限り、
東博の「牡丹蝶文捻大皿」(オリジナル?)も、重文の「亀甲牡丹蝶文大皿」(コピー?)も
どちらもすばらしく、引き込まれた。

東博の方は、牡丹の花びらと茎、葉が幾重にも重ねられ織りなし、その葉の向こうに
蝶が置かれているので、西野の言うように、色のヴァルールによる立体感が皿全体に
段階的に出ている感じを受ける。一方、重文の方は、牡丹の花と茎、葉の重ね合わせは
東博ほどではないが、その濃厚な紫の花と濃厚な緑の茎・葉と薄く淡い色合いの蝶との間に
空間、間を感じさせる。つまり、東博は花から蝶にいたるまで段階的なヴァルールで
描かれているのに対し、重文は牡丹と蝶が間を挟んで対比されている趣があって、
どちらも感動的だ。
コロナが収束したら、東博と梅沢記念館で実物を見てこようと思う。

色のヴァルールで思い出したが、ルネサンス(ダビンチ)の空気遠近法や一点遠近法は
画家が画家の視点から、近い対象物から遠い対象物へと視点を移すことによって
空間性、立体性を出しているので、最後の晩餐の遠近法に顕著なように、描かれているすべての
線がイエスのこめかみ一点に収束する。これは、画家からイエスを見ている視点だが、
東方正教のイコンでは、逆遠近法によって、線は奥の方から見る者の手前で収束する。ルネサンスは、
人間復興で、人間の視点から神の世界を見ているが、ルネサンスを経験していない正教のイコンでは、
神から人を見ている。イコンは神がイコン画家に描かせている、だからサインはない。

ルネサンスを人間中心世界とするなら、正教は神中心の世界で、その違いが絵画に表れているのは
とても興味深い。現代人が当たり前と感じる立体性や3次元性、空間性は、正教の世界では
まったく違った意味をもっていることは宗教・文化の多様性を示していておもしろい。
私が一番興味があるのは、この多様性だ。


●●
また、語り手「私(鉄郎)」のモノローグではなく、上智のロシア語学科2年生の「作蔵君」とのダイアローグという形式は、西野塾で培った知恵かと見た。あるいは、2年生だった西野(伊藤さんの亡くなられた翌年から再起をかけた西野)に、その時代には意識していなかった問題の数々を数十年後の西野が語りたくなったということなのかとも思う。

一番意外だったのは、学生時代の西野では考えられない「美」に関しての論考だった。学生時代は、およそ美などには関心なさそうに見えた(失礼)。おそらく、美から古九谷に向かったのではなく、古九谷から美意識に導かれたのかと邪推した。伊万里東インド会社のコピー基地、古九谷=コピー基地のコピー基地説は、なるほど説得力があると感じた。

私は戦国時代についてそれほど知識があるわけではないので、初めての知見だらけでとにかく刺激的だった。ただ、どこまでが定説でどこからが西野独自の説なのかがよくわからなかった。安土城モンサンミシェルには驚いたが、これはNHKでも取り上げられていたようだし、そういう説もあるんだね。一方、古九谷論考では、引用もあるので、どこからが西野のアイデアかはある程度見えてきた。

信長の最期を締めくくる言葉が「諦めた」であろうはずがない、という主張はまったくその通りだろう。明智憲三郎によれば、『信長公記』には「是非に及ばずと、上意候。透(すき)をあらせず、御殿へ乗り入れ」とあって、この「是非に及ばず」のあとの「上意(命令)」したという言葉は命令として発せられたもので、「直ちに御殿へ移って戦闘態勢をとった」、つまり、「是非に及ばず」の意味は、「それが是か非か、本当かどうか、論ずる必要はない!それよりも即刻戦え!」という意味で森乱丸に命じたということだとあって、西野の解釈と通ずる。

一番おもしろかったのは、利休の一期一会=最後の晩餐説、つまり、茶の湯=聖体拝領。最後の晩餐の食堂=茶室、ワイン=抹茶、ワイングラス=髑髏説で、刺激的だ。ただ、聖体拝領では、ワインとともにパンが聖体であり、それを信徒が分け合うのが聖体の秘跡だそうだが、そうすると、利休においての聖パンは何なのだろう?ワインだけということはありえない。パンは茶道の茶菓子なのか?このパンには触れてほしかった。
正教では、信徒はハリストスの聖体・尊血に聖変化したパンと葡萄酒を、感謝のうちに領食するというが、利休の茶道では、聖変化する前の存在とは何だったのか?聖体礼儀のおけるワインもパンも、単なるワイン、単なるパンではない。そのもととなるハリストスを思い起こしながら聖変化したものをいただく。利休の茶道における聖変化とは何なのか?

二つの牡丹の比較もおもしろかった。東博の「牡丹蝶文捻大皿」(オリジナル?)は、表紙にもあるし、東博のホームページでも見られるが、重文の「亀甲牡丹蝶文大皿」(コピー?)は、探してみたが、写真が見つからない。どうしてなのか?コピー?とばれるのがまずいから見せたくないのか?西野の本でも、両方の写真を比較してくれるともっとよく違いがわかっただろうに、その点が、少し残念だ。

最後に、「生きるとは?偉人は自己重要感を高める術を持っている」という信長論に、西野の信長に対する憧れ、西野自身の生きる意味を見たような気がする。あとがきにかえての「勝利」という言葉にこだわるところが西野らしいと感じた。

とにかく、久しぶりに刺激的で考えさせられる本を読ませてもらってよかった。とても充実した読書体験で、濃密な時間を過ごすことができた。

次作を楽しみにしている。

 

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感想 その1

 

 ●戦国期バサラで生き抜いた前田家は、安定期に入ると陣羽織に代わるものとしての「古九谷」を産んだ。

「古九谷」の部分が多ければさらに良かったが、信長の後継者としての前田家と、安定期を生き抜く美術国家としての代表格「古九谷」を生み出す前田家の生きざまが感じられた。

 

●古九谷が生まれた謎を織田信長からスタートして考えていく

戦国時代の歴史の知識が少ない人にはやや読みづらいかもしれないが、それでもこれを読めば、歴史と文化の深い関連に興味が出てくるかもしれない。書き方も普通の歴史小説と違って教室で講義を受けているというよりはセミナーを受講している感じ。多少でも古九谷に興味のある人は必読でしょう。

 

●著者は選択を間違えた

信長本として売り出すべきだった。
次からつぎへと驚きの展開をみせるが、いちいち納得がいくのがこの本の特徴。
斬新な対話形式のために、わかりやすかった。
経歴を見ると、塾の先生。
道理でわかりやすいはずだ。

この著者は「古九谷」が深く好きなのだろう。
どうしても『「古九谷」の中に信長を見た』ことを書かなければならないと考えた著者の切なる気持ちに感動した。

 

●著者の想像力の大きさが際立つ。

 信長・利休の野心的な見直し論に、「古九谷」を絡ませ、全体を通して、前田三代の文化立国をとても大きなスケールの歴史観で論じている。

信長と「古九谷」がどう結びつくのか?
それが本書の一番秀逸なところだ。

 

●とにかく刺激的でおもしろい

そのおもしろさは、視点の複眼性、立体性にある。タイトルの「古九谷を追う」から信長は連想できなかったが、信長、利家、前田三代からの視点、利常と茶道からの視点が、利常と古九谷へと連なっていき、絡み合っていく様は、まさにミステリー小説を読むが如く。 

 

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(12)普遍性を求めて

色絵栗図輪花形小皿 古九谷 « 石川県七尾美術館

私:この3日間の議論を通じて、作蔵君は、時代を貫く普遍性を感じ取ってくれただろうか? 視点についても、国内のみの視点ではなくて、世界史的な視点でものを見る重要性を、信長・利休を通して感じ取れただろうか?

N:キリスト教で戦国を終わらせると決意したことでしょ。そしてまた信長・利休の野心的な見直し論に、「古九谷」を絡ませ、全体を通して、前田三代の文化立国をとても大きなスケールの歴史観で論じてもらいました。

私:国内的視点だけでは、ピンぼけになりがちだし、特殊性につい目がいきがちになる。特殊性と言えばかっこはいいが、自分は他者と違うという違いを中心にものを考えていると、どんどん自分が小さくなっていく。

N:住んでいる世界が小さいとそうなりがちですものね。

私:大きくなっていく人は普遍性を中心にものを見ている。共通原理の発見というか……。凄いけど、あ、それ一緒だ。それならこうもできるし、ああもできるし、自分もできる……、という感じでね。

N:原稿は出版されるのですか?

私:幻冬舎からね。地元のほとんどの人は「古九谷」の本として読み、自分の考えとの違いを中心にして批判が多いかもしれないね。あ! これも話しておこうかな? 原稿ははじめ「世界の中心で西野鉄郎を叫ぶ」で書いていた。しかし西野鉄郎を叫んだところは、不思議と、何回かの推敲のなかで消えていった。推敲を重ねた原稿を読みながら、不思議な感覚に襲われた。

N:不思議な感覚?

私:「こいつ、すげえや。この話、どんな展開するんだろう?」。自分の文章を読みながら、こう思えて来たんだ。

N:へえ。神が書かせるのですか?

私:いや、違う。自分が書いている。金平糖のようなトゲトゲしたものを初めは書いていた。懸命に西野鉄郎を叫びながらね。しかし、そのトゲトゲ(西野鉄郎)を、削りにけずって、まんまるくする。推敲とはそういう行為なんじゃないかな?

N:トゲトゲとは個性(自我)のことですか?

私:そうだね。そのトゲトゲが価値を持つのは、まんまるの状態にして、そのまんまるをふたたびトゲトゲにしたときのトゲトゲだ。

N:トゲトゲ→まんまる→トゲトゲですか?

私:あるいはまんまるのなかに残る何かしらのトゲトゲのようなもの。個性がないかといえば、あるような……。

N:ほお。

私:まあ、誰がつくったのかわからならなくなるまで、まんまるにする。それが創作の第一歩だった。そうそう、ピカソを例に取ろう。ピカソは素描を事細かにやって、そしてキュービズムに取り掛かる。つまりそれは、まんまるにしてから、そのまんまるに楔を打ち込むことではないか?

N:まずまんまるにできることですね? 自分が書いたものが、誰が書いたのかわからないレベルにまでまんまるにできるか? そのレベルに達しなければ、読者を持てない。そういうことでしょうか?

私:プロは楔を打ち込める。残念ながら、そのレベルに原稿は達しなかったが、まんまるにはできたかな? そのまんまるのままで、どこかに微かでも西野鉄郎が残っていて、「古九谷」を叫んでいればいいなあ。

 私:じゃあ、これで終わろうかあ。

N;はい。この3日間は塾のときの幸せな時間を思い出しました。ありがとうございました。また夏、帰ってきます。先生、お元気で。

 

  • 古九谷を追う 加賀は信長・利休の理想郷であったのか(幻冬舎)抜粋

 

(11)時空に残す前田家

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私:作蔵君、ふいに作蔵君が誤解していたら……。気になり始めた。スティーブ・ジョブズイーロン・マスクだと理解しているのかな?

N:何の話でしょうか?

私: 「古九谷」を作ったのがイーロン・マスクスティーブ・ジョブズなのだよ。

N:どういうことでしょう?

私:「使う」(パトロン)という視点では、前田家(「古九谷」)も家庭の主婦(食器)も同じだが、しかし、「古九谷」はマスクやジョブズがつくっているんだよ。食器はマスクやジョブズがつくっているかい?

N:どういうことでしょう?

私:当時の磁器は「玉」だった。ダイヤモンドや金(キン)は作れないが……。

N:あ! 磁器なら作り出せると信長が気づいた、あれですね。

私:富を産み出す最先端の技術が玉作りなのだ。だから、そもそも九谷焼の作家と「古九谷」作家(マスクやジョブズ)とを同一線上に並べるからおかしなことになるんだ。NHKの番組もそこに思いが至っていないのではないか?

N:大きくでましたね。

私:マスクやジョブズが殿様の大号令のもと動いているんだ。焼き物が好きとか、絵が上手だったとか、そういったレベルの話ではないのだ。だから、トップシークレットの企業秘密・国家機密の世界で、技術は門外不出なのだ。

N:マスクやジョブズだから、「セザンヌ」(表紙の「古九谷」)が本家の200年も前に加賀にあるのですね。

私:「桜」も伊之助が絶賛した「布袋図平鉢」(久隅守景・総絵・県美)も、どちらも利治(利常3男・初代大聖寺藩藩主)の仕事だ。利治は、芸術的な才能に秀でているがゆえに、「古九谷」命のパトロンだったのだ。

N:久隅守景とはどういう人物ですか?

私:狩野探幽の最も優秀な弟子だが、破門されて金沢へ。だから京(鷹峰)の絵師と考えてもいい。

N:利治は「売る」構想で殖産興業を目指しましたよね?

私:利治の殖産興業は芸術性を纏っており、大聖寺藩として、「青手古九谷」で伊万里の名声を奪取する蒼き血の野望があったのだ。

N:私たちの殿様はやるじゃないですか!

私:利常に話を戻すと、利常には、父や兄への「鎮魂」の気持ちがあったろうね。最後の戦国武将として、不本意ながら、徳川の世を生きたんだろうなあ。下剋上の意識を捨てきれないまま、しかし、戦国の終わりを意識しながら、利常は前田三代の「陣羽織」を着た。そして「古九谷」を前田三代の「陣羽織」として時空に残そうとしたんだ。

N:行け! 利常! そう叫びたくもなりますね。

私:利常は、前田家を、華もあり実もある家として、時空を超えて残そうとしたのだ。そして利常の美意識(芸術を利休の茶事の世界の完遂)はたしかに時空を超えた。とりわけ「古九谷」の真価(光)は「桜」のように単純ではないがゆえに、少数の目利きによってかえって強烈に支持されたのだ。

 

  • 古九谷を追う 加賀は信長・利休の理想郷であったのか(幻冬舎)抜粋

 

 

(9)古九谷の中に信長をみた 

色絵鳳凰図平鉢 古九谷 | 所蔵品のご案内 – 石川県立美術館

N:先生、もう少しだけ「古九谷の中に信長をみた」を語ってもらえませんか?

私:作蔵君、金沢はお茶会が盛んで、長年、和菓子の消費額で全国一位なのは知っているよね。利家の頃から、京から多くの茶人を招いたからで、利常にいたっては裏千家始祖の千仙叟を召し抱えたほどなんだ。そもそも信長・利休・前田三代の魂が宿る「古九谷」に価値を与え、生き残らせたのは、京から来た少数の目利きの茶人だったからな。

N:通学路(小松高校)には、仙叟屋敷・玄庵(茶室)がありました。

私:「古九谷」の生地(鼠生地)には歪みがあるだろ? まるで粗悪品かと見紛うくらいで、しかし、一方の伊万里の生地は雪のように白くて美しい。絵柄は鮮やかで繊細で、まあ、なんにせよ、伊万里は整っているわけよ。

N:それならば九谷はなぜ歪んだ……。

私:そこだよ、作蔵君。「古九谷」はバサラなんだよ。歪んだ生地に堂々と絵付けをする。現代で言えば、「魯山人」風で、つまり、美の本質のみをとことんまで追求すれば、生地がどうの、色にかすれがあるうんぬんなんてことはどうでもよいことで、全体として、統合された美があるのか? 「古九谷」作家も茶人もそこを追求したのだ。バサラゆえの大胆不敵さ、荒々しさ。それがまさしく利常の陣羽織だ。透き通る透明感のガラス質の……。

N:あれ? 「桜」(桜花散文・県美)が信長・利休の「古九谷」の最終到達地点で、フェルメールとの比較もありましたが……、しかし、「桜」には透明感はありませんし、むしろ北陸の薄暗いお天気を反映したどす黒い……。

私:あ! なるほどね。作蔵君は、「桜」に納得していないんだね。だから「古九谷の中に信長をみた」のさらなる説明を求めているんだね。

 

  • 古九谷を追う 加賀は信長・利休の理想郷であったのか(幻冬舎)抜粋

(8)もしゴッホが「古九谷」をみたら

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 N;この3日間は塾のときの幸せな時間を思い出しました。ありがとうございました。また夏、帰ってきます。

私;作蔵君、ちょっと「古九谷」をゴッホ絡みで語らせてくれないかい?

N;ゴッホと「古九谷」。どんな話の展開になるのでしょう。

私;もしゴッホが「古九谷」をみていたら……、とつい考えてしまう。ゴッホには「古九谷」をみて欲しかったなあ。

N:しかし、実際は、ゴッホは浮世絵に出会ってしまったのですよね。

私;ゴッホ晩年の「糸杉」は、「青手(塗埋手)古九谷」の「樹木図平鉢」(県美)と同じ匂いがする。

N:ゴッホは浮世絵の一体どこに感動したのでしょうかね?

私:ゴッホは浮世絵が持つ「絵画性」に激しい衝撃を受けた。そして色数の少なさが「色のハーモニー」を生むと気づいたんだ。さらに輪郭線の中に色が載っていることにも驚いたんだ。

N:色数の少なさは「九谷五彩」と共通しますね。では輪郭線の中に色が載っているうんぬん。その話の意味するところは?

私:ゴーギャンの画法は浮世絵に似ている(「古九谷」にも似ている)。ゴーギャンも浮世絵も(「古九谷」も)輪郭線を描く。ゴーギャンのその画法を当時セザンヌが鋭く非難していたんだ。

N:へえ。ところでゴッホは広重を模写していますね。

私:広重の浮世絵から、ゴッホは雨や波の音を聴いた。また風の強さもゴッホは感じた。

N:西洋の油絵は静の世界ですものね。

私:そしてゴッホは浮世絵の制作方式にも目を向けた。浮世絵の分業・協力体制(蔦屋の版元体制)しか為しえない高い芸術性。それをゴッホは目指した。ゴッホはコロニー(共同体)を夢想し、集団での絵画の共同制作を考えた。そしてゴーギャンと、2カ月間だけだったが、共同生活する。

N:浮世絵がゴッホに与えた影響はほんとうに大きいですね。

私:たとえば「ひまわり」7枚。たとえば「寝室」3枚。ゴッホには同じ構図の作品が複数枚ある。

N:あ、そうか! 浮世絵が何枚も刷れるように、ゴッホもそれに倣って…。

私:そうだね。浮世絵を刷る感覚と油絵を描く感覚とをゴッホは完全に一致させたかったんだ。

N:ゴッホがもし「古九谷」をみていたら……。想像が掻き立てられますね。

私:東インド会社伊万里ではなく、「古九谷」をヨーロッパに運べば……。芸術の世界にどんなインパクトがあったことだろう?

N:マティスは伊之助の「古九谷」をみていないのですか?

私:マティスは陶芸家の伊之助を知らない。「古九谷」と伊之助が出会う前にマティスは死んでしまっている。

N;印象派の巨匠たちに「古九谷」をみてもらいたかったですね。

 

●古九谷を追う 加賀は信長・利休の理想郷であったのか(幻冬舎)抜粋

 

(7)「青手(塗埋手)古九谷」は信長と利休の「古九谷」だ

色絵鶴かるた文平鉢 古九谷 | 所蔵品のご案内 – 石川県立美術館

 N:もうこれで最後のリクエストです。信長・利休から「古九谷」への流れですが、もう一歩突っ込んだ話が聞きたいのですが……。

私:作蔵君、ありがとう。そのことを語りたかったのだよ。これからが私の新「古九谷論」の結論になる。さて「古九谷」を絵画性で分類するとき、「色絵」(九谷五彩)と「靑手(塗埋手)」(九谷二彩、九谷三彩)になる。信長・利休の「古九谷」への流れの最終到達点は、じつは青手(塗埋手)なのだ。青手(塗埋手)の最高傑作は「桜花散文平鉢」(県美)と「兎渡海図」(イセ文化基金)で、それらには利休のわび・さびの世界観が表現されているんだ。

N:ほお。先生、ひさびさに大きく出ましたね。

私:青手(塗埋手)は、もともとは、古九谷窯の生地が悪かったので、その欠点をカバーするために、生地を全面塗り埋める技法だった。「桜」も「兎」も緑と黄の九谷二彩だ。

N:九谷二彩の緑と黄は色彩が調和しますね。その緑は利休・織部の抹茶の色なのでしょう? 

私:油絵で例えれば、青手(塗埋手)には印象派のような明るさはまったくない。ゴーギャンピカソの青の時代のような感じがする。では「桜」に絞り込んで具体的に話そうかな。「桜」は全面を緑一色で覆っている。地文様には黒で菊小紋が全面に描きこんである。桜の花や葉は青だ。九谷では梅や椿や桜は青で描く。そもそもピンクが九谷五彩にはないが、中間色を九谷は嫌う。

N:緑は苔で、月夜に桜がひらひらと舞い散るイメージでしょうか? 蛙が水に飛び込む音(芭蕉)と同じように、桜花が月夜にひらひらと散ることで、かえって静寂が増していますね。

私:「静と動」や「生と死」が交錯する利休のわび・さびの世界が「桜」にはある。アクティブな信長の本能寺での死にはなぜか静のイメージがあるし、敦盛の舞も同じ地平線上にある。それは墨絵とか水墨画とかの世界や青呉須による染付の世界に近く、もっと言えば、楽長次郎の赤茶碗、黒茶碗にも似た深い味わいが「桜」にはあるということだ。 

N:西洋にはない世界でしょう?「古九谷」の「色絵」は200年後にゴッホマティスが追いついて来たとも言えますが、「青手(塗埋手)」の名品は独走しているでしょ? 

私:そうだね。特に「桜」は唯一無二の作品で、利休の魂が宿っている。

N:西洋にはない世界でしょう?

私:たとえばフェルメール。利休の世界に光と影の表現で迫っていないかな? 「真珠の首飾りの女」の光の使い方は、中世の画家が描く薄暗い教会に射す一筋の光と同じ意味合いがある。それが西洋における「青手(塗埋手)」の世界なのかもしれない。しかし、西洋における「青手(塗埋手)」の世界にはどこをどう探しても動のイメージはない。

N:フェルメールといえども、「桜」の世界とは程遠いですよ。

私:これまでの「古九谷」の私の話は、私の好みの「色絵古九谷」が中心であった。「色絵古九谷」の名品は鷹峰だが、しかし、「青手(塗埋手)古九谷」は鷹峰ではなく、加賀であることは論をまたない。再興九谷の雄・吉田屋窯がそれを雄弁に証明している。

N:今の「青手(塗埋手)古九谷」の話で、私も伊万里説がちゃんちゃらおかしく思えてきました。今の先生の話をこうまとめてみました。正しいでしょうか? 「古九谷」には2つの山脈があり、1つの山脈は利休のわび・さびの「青手(塗埋手)古九谷」、もう1つの山脈は脱利休の遠州の綺麗さびの「色絵古九谷」です。「色絵古九谷」は硲伊之助と武腰潤氏に受け継がれましたが、「青手(塗埋手)古九谷」は……。

私:「青手(塗埋手)古九谷」はほんとうに誰に受け継がれるのだろうね。

 

●古九谷を追う 加賀は信長・利休の理想郷であったのか(幻冬舎)抜粋

(6)「古九谷」の何が真に素晴らしいのか?

石川県立美術館の公式サイトです。国宝色絵雉香炉や古九谷の名品など加賀藩ゆかりの古美術品と、石川 の作家を中心とする現代の油彩画・日本画・彫刻・工芸品を常設展示する地方色豊かな美術館です。 | 古美術品, 唐子, 美術品

N:よくわかりました。では次ですが、今私が一番知りたいことを質問します。一体全体「古九谷」の何が真に素晴らしいのでしょうか?

私:私には「牡丹」(東博)が印象派の油絵に見える。ある時、印象派以前の油絵をまとめてみて、とても古臭くて驚いた。

N:「古九谷」は古臭くないのですよね?

私:いいものはね、いつまで経っても新しいんだよ。

N:でもそれはなぜなのでしょうか?

私:いいものは人を感動させる力があるからだな。

N:その感動させる力とは一体何なのでしょうか?

私:感動させる力とは、作品が異なる時代を生き抜く力のことで、作品に美があれば、いついかなる時代であっても、作品は人々に感動を与えることができるんだ。そしてそれゆえに絶賛されるんだ。

N:それはおかしくありませんか? ゴッホは……。

私:マティスはまだ無名だったゴッホの作品を絶賛している。マティスは、ゴッホ作品を通して、「平面構成」と「色のハーモニー」の親和性に気づいたのだ。ふたたび「牡丹」に話を戻せば、自分が生きていない江戸という時代を作品に発見できなければ、鑑賞者は真には感動できず、それゆえ絶賛はしないのだ。武腰潤氏は「牡丹」の線を「武士の線」と言っている。ということは、武腰氏には「牡丹」に江戸時代の武士が見えているんだ。

N:わかるような……、わからないような……。

私:ではこういおう。表現には時代が反映される。世相といっていいかな? そういう表現をアートという。文学作品の話ならわかりやすい。われわれはもののあはれ平安時代の文学作品『源氏物語』を読みながら、平安時代をさも現代のように、あるいは平安時代を現代に置き換えて読み、感動している。平安の貴族社会がしっかり書き込まれているがゆえにわれわれは感動できるのだ。

N:なるほどなあ。これまでの話は鑑賞者と感動の話でしたよね。では制作者と感動の話は、どういうふうに考えればいいのでしょうか?

私:制作者は表現する喜びに溢れているか? そこが一番だな。「牡丹」は、生地を山辺田窯(伊万里)から持ち込んで、加賀で絵付けしたものだろう。当時生地は1枚100万も200万もしただろう。生地に絵が描ける! その絵師の喜びと責任たるや、どんなものか、作蔵君、想像できるだろ?

N:言われてみれば、今回の先生の信長や利休についての話ぶりは、得意満面でした。また利長に同情を寄せているようでしたし、なにより利常を捉えようと挑んでいる姿勢をとても好ましく感じました。

私:作蔵君、それが感動だよ。鑑賞者の心が感動で揺さぶられるのは、制作者の心が鑑賞者に透けてみえてはじめて起こるんだ。一方、制作者の話だが、制作者は責任ゆえに緊張する。そして、自らに規律を課し、その自己規律を守ることではじめて、作品に品格がにじみ出てくるんだ。

N:先生、しかし、そもそも「古九谷」以降の九谷焼が「古九谷」うんぬんといった時点で、二番煎じ感があります。感動は二番煎じからは生まれません。織部にさえ利休の二番煎じ感があり、利休ほどの知名度を勝ち得ていないのはそのためです。

私:作蔵君の美における価値観は、新しいものこそが美だとする価値観なのかな? しかし、美の核心は、作品がいつまでも瑞々(みずみず)しいか? 作品が鑑賞者ばかりか制作者の心を洗うか、だよ。

N:わかるような……、わからないような……。

私:いい作品の前に立つと、自分が消えるんだ。得も言えぬ時間が流れ、そして我に返るんだ。そうそう、伊之助作品はモダンだが、作蔵君、昭和を感じないかい?

N:先生、私は平成生まれですよ。

私:当時は世界の中の日本という言い方をよくしたんだけれどね、日本が世界に飛躍したのが昭和という時代で、洋画家が「古九谷」を描いたんだよ。江戸時代には武士であったようにね。まさしく時代の風なんだよ。だからアートなんだ。利休の茶碗(髑髏)には戦国時代の風が吹いていたのと同じなんだよ。

N:ところで、現代は、絵も活字(2次元)も、映像・動画(3次元)によって置き換わる時代です。「古九谷」など古臭い。時代遅れもいいころだ。そういう見解に、先生は何と答えますか?

私:武腰氏も伊之助も「古九谷」が道しるべとなった。つまり、心に「古九谷」が住んだんだ。心に作品が住まないのなら、それは感動とはいえないし、同時にまた、作品と対話がくり返されなければ、それもまた感動とはいえない。つまり、絵画が2次元の世界で、映像を3次元の世界だと捉えるなら、感動は4次元の世界の話で、作品は4次元として誰しもに認められなければ、消えていく運命にあるだけなんだ。

  • 古九谷を追う 加賀は信長・利休の理想郷であったのか(幻冬舎)抜粋

(5)「古九谷」伊万里説は論外だ

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N:先生! 緊急提案です。このままでは、私の知りたいことが聞けずに終わりそうな気がしてきました。質問させてください。いいですか? まず「古九谷」産地論争=「古九谷」伊万里説についての先生の見解を教えてください。

私:「古九谷」伊万里説なんて、論外だな。だって「古九谷」を再興しようとして、2人の大物が伊万里ではなく、加賀に来ているんだぜ。幕末の青木木米と現代の硲伊之助だ。木米は当代切っての京の名工で、加賀藩12代前田斉広の招請で、金沢の春日山で開窯した。もう一人の伊之助はあのマティスの弟子で、九谷吸坂で築窯し、いまも弟子たちがその志をついで作陶している。それに「古九谷」発祥の地の九谷村で、当地大聖寺の豪商・豊田(吉田屋)伝右衛門が「古九谷」に憧れ、吉田屋(再興九谷の雄)の開窯しているくらいだからだよ。

  • 古九谷を追う 加賀は信長・利休の理想郷であったのか(幻冬舎)抜粋