古九谷を追う&古九谷を残す

週1くらいの更新になります

2020-12-01から1日間の記事一覧

(9)利休の子孫たち

私:しかし、時間がたてば、2人の天才にも差がついてくる。人気は信長が利休をはるかに凌ぐ。 N:信長と利休、2人の天才につく差とは? 私:今、信長の家系はどうなっている? 利休の家系は? N:利休の家系は、表千家、裏千家、武者小路千家となり、続いて…

(8)キリスト教で戦国時代を終わらせる

私:信長と利休、この2人はとても眩しい。日本歴史史上屈指の人物だ。秀吉や家康にしろ、清盛や頼朝にしろ、彼らは覇権争いの勝者であるに過ぎない。 N:宗教があるか? 宗教がないか? それが違いということですか? 私:武力では人心を支配できない。人心…

秀吉の利休切腹の真意

N:このような利休をいったい誰が理解できたでしょうか? 信長だけでしょうね。 私:秀吉は理解した。 N:え! 私:しかし、秀吉は理解したがゆえに利休に切腹を命じた。 N:え! 私:利休切腹と秀吉の禁教令の時系列を確認すれば、利休切腹は1591年。右…

秀吉の利休切腹の真意

N:このような利休をいったい誰が理解できたでしょうか? 信長だけでしょうね。 私:秀吉は理解した。 N:え! 私:しかし、秀吉は理解したがゆえに利休に切腹を命じた。 N:え! 私:利休切腹と秀吉の禁教令の時系列を確認すれば、利休切腹は1591年。右…

(6)切腹の儀式

N:利休の理解がぐんと進みました。 私:利休は「一期一会」をさらに「切腹の儀式」にまで昇華させた。 N:ほんとですか? 私:利休は十字架に磔にされるイエス・キリストの最期を、切腹の儀式で表現した。 N:所作? 茶道具? 私:茶杓は短刀であり、共筒は…

(5)そもそも利休の茶碗は髑髏なのか?

N:しかし利休はほんとうに茶碗を信長の髑髏盃から着想を得たのでしょうか? 私:いまの陶芸家の「茶碗」をみても、利休の髑髏(シャレコウベ)は想起できない。なぜか? 利休の子孫たちや楽の子孫たちが茶碗を再発明したからだ。つまり、利休のとんがった「…

(4)利休は、信長同様、キリスト教を選んだ

N:でもお茶(抹茶)はもともとは仏教の世界の話でしょう? どうして仏教じゃなくてキリスト教に話が飛ぶのでしょう? 私:最澄や空海のときは固形の茶(団茶)だった。栄西(臨済宗)のときに抹茶が伝わる。道元(曹洞宗)のときに茶礼が制定される。しかし…

(3)髑髏盃でキリストの血を飲む

私:そして信長の髑髏(シャレコウベ)が利休の茶碗に蘇る。 N:利休の茶碗は信長の髑髏ですか? そうだとすると、キリストのワイングラスが利休の髑髏(茶碗)になるということなのでしょうか? 私:そう。そしてキリストのワインが利休の抹茶となる。 N:…

(2)利休の「茶室」はキリストの囚われた監獄

N:では利休は何を発明したのでしょうか? 私:利休は草庵の茶(客と亭主が一座を建立する座敷の茶)を大成した。はやい話が茶を飲むのに「茶室」を設けたわけだ。 N:キリストの「最後の晩餐」は「食堂」でワインでしたね。ところで利休はミサを茶室にどう…

利休を見直そう(1) 「一期一会」と「最後の晩餐」

私:さて利休の茶だが、利休の茶は戦国の荒ぶる魂を鎮める。陣幕での茶会は「一期一会」となる。茶会は必勝を誓いもするが、この世での「別れの儀式」、「死への旅立ちの儀式」でもある。 N:それが利休の茶のほんとうの意味なのですか? 私:西洋では茶がワ…

利休を追う

私:作蔵君も知っているように、私は信長ファンだ。信長ファンであるがゆえに、利休が信長と一体として語られないことに大きな不満を持っている。で、利休は信長と一体でところで、信長存命中の利休は「死の商人としてのキリシタン」の貌もある。「茶室外交…

「古九谷」には信長と利休の「残照」がある

私:ここからの後半、今日の山場で、「古九谷」のコアに迫ろう。さて「古九谷」の歴史を俯瞰すると三つの流れになる。一つはスポンサーの流れで、信長-利長-利常。一つは茶人の流れで、千利休-古田織部-小堀遠州。そして最後の一つは陶磁器の流れで、楽…