古九谷を追う&古九谷を残す

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遺骨は高岡と金沢にある 

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私:次は織田信長の「遺骨」の話をしようかあ。本能寺の変当日、利長・永姫夫妻は信長(父)に会うために本能寺に向かっていた。ところが瀬田の唐橋(京の入口)で信長の死を知る。利長はただちに同行の家臣を本能寺に走らせた。

N:だから焼け跡で信長の骨を収集できたというのですね?

私:そう。ところで、作蔵君、小泉首相が激賞した『信長の棺』(加藤廣)は読んだかい? 信長の遺体がない。その謎を『信長公記』の太田牛一が解く物語で、牛一が本能寺の変後、利長に保護されて加賀松任にいた場面から始まるんだがね。

N:松任で「信長公記」が!

私:そして遺体は京都の阿弥陀寺にあると牛一は突き止める。しかし遺骨なら、金沢にもあるし、高岡にもあるんだ。

N:どうして金沢や高岡にあるのですか?

私:利長・永姫夫妻が京から金沢に持ち帰って、信長の霊を慰めた。日本で最初に信長を祀ったのが前田家で、金沢には泉野菅原神社、高岡には織田信長御分骨廟(国宝瑞龍寺)があるんだ。そして京都には建勲神社もある。明治天皇が建立されたんだ。信長を祀る神社は織田氏子孫以外では明治天皇と前田家のものしかないんだよ。

N:へえ。前田家の信長への崇敬がこれほどまでに凄まじいとは思いもおよびませんでした。