鉄砲の誤解(1) 信玄、謙信、石山本願寺が立ちはだかる
私:さてここからは信長の戦争論、経済論へと話を進めるが、信長は誤解に包まれている。まず鉄砲神話の誤解から始めよう。信長は鉄砲で天下を取ったとよく言われるが、事実は逆で、鉄砲が信長の天下取りを大きく阻んだのだ。
N:そうなのですか?
私:決定的な証拠をあげよう。斎藤道三が信長の鉄砲隊に驚いたのは有名な話だが、あれは1553年で、信長の没前約30年も昔の話なのだ。そして謙信の死は信長の没前3年で、石山本願寺とは信長の没1年前まで、11年も激しい鉄砲との死闘が続いた。
N:28年! 鉄砲をいち早く取り入れて、信長は天下をリードしていたと思いきや……。
私:鉄砲の数が石山本願寺は5000~6000丁で、信長は3000丁しかないからなんだ。しかも手取川の戦い(1577年)では織田は上杉に大敗している。上杉の鉄砲の数はわずかに300丁だというのに……。
N:え! われわれは信長の鉄砲神話のなかで夢をみていたようですね。
●古九谷を追う 加賀は信長・利休の理想郷であったのか(幻冬舎)抜粋