フロイス(2)信長はキリスト教で新国家建設
私:ところで記録では、フロイスと信長は、宗教の教義の話を多くしている。われわれは南蛮「文化」につい目が行くが、しかし信長は南蛮「文明」にこそ関心を寄せたのだ。
私:信長の宗教観は聖徳太子に似ている。聖徳太子は仏教による新しい国造りを始めた。新しい国造りのためには天皇さえも仏教に帰依させた。どれだけの衝突があっただろうか? 戦後の天皇(現人神)の「人間宣言」と同じ衝撃があっただろう。GHQ(進駐軍)も日本の新しい国造りを始めた。
N:新しい国造りと宗教ですか……。私には思いもつかぬ結びつきですわ。
私:信長はキリスト教による新しい国家造りを目指す。奈良時代の国分寺、国分尼寺や東大寺の大仏が、信長には安土城やセミナリヨなのだ。信長は安土を「アジアのローマ」にしようとしていた。
N:安土はアジアのローマですか? もしかして安土城はサン・ピエトロ大聖堂なのですか?
私:その辺の話は後ほどあらためてしよう。しかし信長の意識は「キリスト教 vs 仏教」であろうはずはない。仏教勢力など、はなから眼中にないのだ。すべてをキリスト教で作り変える決断なのだから。仏教、神道、天道思想、すべてクソくらえ! きれいごとでは、戦国の世は、平和にならぬ。まして堕落した延暦寺や石山本願寺は殲滅する。
N:利家の「根切り」、「釜煎り」の極刑を思い出しました。
私:まつが利家の地獄行きを心配して経帷子(死者に着せる白い着物)を着せようとする。「わしは理由なく人を殺めたことは一度もない。この帷子はわしには不要」。
N:利家の言葉、この文脈でこそ眩い光を放ちます。信長のキリスト教による新しい国造りを、利家は完全に理解して、「神」信長の意思を忠実に実行していることがわかります。
●古九谷を追う 加賀は信長・利休の理想郷であったのか(幻冬舎)抜粋