信長は永楽帝に憧れる
N:ところで信長は永楽帝のどこに憧れていたのでしょう?
私:永楽帝は4男に生まれた。父が死ぬと長男が皇帝につく。さらに長男が死ぬとその子が皇帝を継ぐ。永楽帝はその子から皇帝を奪取したのだ。つまり、永楽帝は下剋上の皇帝なのだ。それは信秀の3男として生まれた信長とそっくりで、二人の兄を排除して、織田家当主の座を勝ち取ったのと酷似している。
N:信長は嫡男では?
私:信長の名乗り(織田「三郎」信長)から3男だろう。弟とされる信行は兄であろう。
N:え!
私:父信秀の葬儀のときの信長の奇妙な行動とは対照的に、信行は礼儀に則った振る舞いをした。信行は信長の兄ではないか?
N:それはまたどうしてですか?
私:信長につき従う重臣はひとり平手のみ。一方信行には織田家の重臣がこぞってつき従う。あの柴田勝家もはじめは信行の重臣だったのだ。
N:勝家は信長の家臣ではなかったの!
私:信長の実力を認めて、信行を裏切る。
N:忠義一筋の柴田勝家が裏切ったの!
私:また信行は信秀の城を継承して、両親と一緒に住む。しかるに信長は那古野城にひとり別居している。
N:うーん。
私:永楽帝は都を南京(親の本拠地)から北京に移した。信長も清須から岐阜、そして安土へと都を移している。
私:現在われわれが知る万里の長城は始皇帝時代のものではなく、永楽帝時代のもの。北方民族に対する備えとして万里の長城はつくられたのだ。
N:トランプ大統領の「メキシコの壁」みたいですね。壁の外側から簡単に侵入できちゃいそうですね。
私:そうだね。
私:皇帝の仕事だからだよ。国のトップには国のトップとしての仕事というものがある。ピラミッドはエジプト国王の国のトップとしての仕事なんだ。
N:そうなのですか? じゃあ日本の国のトップの仕事は?
私:戦国時代、天皇はその仕事ができなかった。
N:代わりに信長がしたのですか?
私:そうだな。信長が再興したと言えばいいかな? 戦国時代100年も途絶えていた「伊勢神宮式年遷宮」を信長は再興したんだ。
N:ほう。伊勢神宮の式年遷宮はたしかに日本国のトップの仕事ですよね。
私:太古は古墳をつくるのが天皇の仕事だった(仁徳天皇陵古墳や応神天皇陵古墳)。今もその風習がある。昭和天皇は「上円下方墳」だ。しかし仏教を国家宗教としてからは古墳はつくられなくなり、天皇(聖武天皇)の仕事は国分寺・国分尼寺や東大寺やその大仏を創建することになる。
●古九谷を追う 加賀は信長・利休の理想郷であったのか(幻冬舎)抜粋