正義は我にあり
N:政治家として信長教ゆえに、信長の残虐性は起きるのですか?
私:比叡山焼き討ちでも、一向一揆との決戦でも、信長は死者への鎮魂のために何かをしただろうか? 怨霊が祟り、疫病や天災が起きるとも信長は思わないし、それを封じようとも信長はしない。なぜなら正義は我にあるからだ。それを一神教というし、信長教ともいう。信長の残虐性は一神教であるがゆえに生まれるのだ。
N:正義は我にあると信長は信じる。だから敵を殺すのも正義であるし、何人殺そうが、悩まないのですね。
私:一神教の「正義」の話はわれわれには重い。われわれはつねに迷いながら生きているからだ。しかし信長には生き方においても迷いがないし、決断においても迷いがない。
N:自分を徹底的に信じていたのでしょうね。自分のなかに「神」がいたのでしょうか?
私:生きるとは? 偉人は自己重要感を高める術を持っている。信長は、毎日、毎日の戦争のなかでそれらを高めたのだろう。
●古九谷を追う 加賀は信長・利休の理想郷であったのか(幻冬舎)抜粋