「守成」の利長と最期
N:おはようございます。
私:おはよう。きょうは前田三代のの利長(利家長男・2代藩主)、利常(利家庶子・3代藩主)を語ろう。まずは利長から始めるね。利家の「創業」に対して利長の「守成」とされる。
N:利長は大河ドラマの影響でしょうか? 利長は家康に屈服して、母(まつ)を捨て、豊臣を裏切って、加賀藩を守り抜く。そんな最悪な印象です。
私:そうだろうなあ。しかし利長は加賀百万石は守るも、困難に次ぐ困難、絶望に次ぐ絶望の人生で、利長の死には病死、自死、毒殺説がある。
N:なんかすごい人生ですね。
私:利長は徳川にこう懇願する。京都隠棲と高岡城の破却と、隠居料の20万石のうちの10万石を本藩に返し、残りの10万石を徳川に返納すると……。そして自らの病状を書状で伝えたり、医師の派遣を頼んだりしている。