古九谷を追う&古九谷を残す

週1くらいの更新になります

それでも前田は徳川に屈服した印象が強い

f:id:thesakuzo:20201109094941j:plain

N:それでも前田は徳川に屈服した印象があります。

私:後世から見ると、あたかも利長が家康に屈服したかのような印象を与えているのは、関ヶ原後の加賀藩が平穏になったからなのだ。関ヶ原の「前」と「後」を区別しよう。「後」は江戸幕府が成立して、利長は徳川に忍従した。しかし「前」は利長&右近で家康と互角に渡り合い、前田を守り抜いたのだ。

N:隠居「前」と隠居「後」の区別も必要ではありませんか?

私:隠居「前」、つまり、加賀藩主の時代の利長は父(利家)譲りで、利長には羽柴を名乗る気骨があり、かつ、羽柴を名乗る利長の実力を、家康は怖れ、名乗りを咎められなかった。しかし隠居「後」は、利常と前田を守るのに、豊臣と徳川の狭間で、利長は汲々としていた。

N:とはいえまつは関ヶ原後も江戸にいましたよね。上杉討伐での人質は解かれるのではないのですか?

私:家康が金沢へ帰す約束を破った。まつが関ヶ原後も江戸にいたという話はまつの江戸下向の議論とはまた別の議論で、江戸幕府成立後はまつは大名証人制度ゆえの人質となったのだ。

 

●古九谷を追う 加賀は信長・利休の理想郷であったのか(幻冬舎)抜粋