利長は和議反対派を一掃して加賀藩を守り抜いた
N:それでもまだ前田は徳川に屈服した印象があります。
私:そう感じるほど加賀藩が平穏になったのだが、そのために利長は二つの戦略を使った。一つは自分の政治的存在感を薄くした。薄くすることで加賀藩を守り抜いたのだ。一見支離滅裂にみえた行動、すなわち、隠居料を本藩に返納したり、自ら病状を徳川に書状で伝えたり、医師の派遣を頼んだり……。それらは利長の政治的な存在感を薄くして加賀藩を守り抜く、右近の考え抜いた作戦だったのだ。
N:支離滅裂な行動にみえましたが……。
私:もう一つは和議反対派を断固たる処置で抑え込んだ。和議は藩内の対立を深刻にした。利長自身が横山長知(利長謀反の弁明に右近とともに家康のところに派遣される)に命じて金沢城内で太田長知(反和議のリーダー)を暗殺させた。この英断で藩内意見が和議に統一されていく。
N:それは親徳川、反豊臣ということではありませんか?
私:結果的にそうなったね。
●古九谷を追う 加賀は信長・利休の理想郷であったのか(幻冬舎)抜粋