古九谷を追う&古九谷を残す

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利常と天信仰神

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私:さてキリスト教から天神信仰へ話を移そう。利常はキリスト教に代わる信仰として天神信仰を始める。利常が菅原姓に固執したのも天神信仰がゆえだ。そして利常は天神信仰のため次の二つのことをした。一つは本姓をまず菅原にしたのだ。

N:あれ? 前からでしょう?

私:いや。本姓に混乱がみられる。小松城には松平肥後守「源」朝臣利常の棟札がある。

N:源姓への改姓を拒絶したはずなのに変ですね。

私:とにもかくにも利常は藩内を正式に菅原で統一した。

N:もう一つは?

私:利家の誕生日を天神信仰の吉数(菅原道真の誕生日)の「25日」に変えた。

N:誕生日を変えたのですか?

私:利常は天神信仰を藩内に強要した。加賀藩には他藩にくらべて天神社・天満宮が異常に多いのはそのためだ。

N:わが家では、正月、床の間に天神様が飾られました。

私:そうそう、利常の肖像画、みたことあるかな? 利常は天神様(道真)にあやかる。衣冠束帯姿で、太刀を佩刀し、笏を持ち、髭をはやす。利常の天神信仰のまぎれもない証拠であるかのようだ。

N:小松天満宮天神信仰でしょう?

私:天皇家の祈願所であった京都北野天満宮から御祭神を遷座した。別当北野天満宮から招く。神具はすべて北野天満宮を模す。社殿は、幕府を憚って、北野天満宮の4分の1に縮小した。棟梁は山上善右衛門だ。瑞龍寺(利長)も那谷寺も妙成寺(利常母)も善右衛門が建立した。

N:利常の本気度が見てとれますね。

私:ところがそうでもないんだな。利常のわかりにくさはそこなんだよ。小松天満宮の建立は利常死のなんと1年前なんだから。

N:え! 小松に隠居した途端にやらなきゃ。山上善右衛門に那谷寺を再興させてる場合じゃないでしょうが。

私:キリシタン撲滅のための島原の乱を引きずった。キリスト教に心を寄せてきた利常だけに心に大きな穴が空いていたのだろう。心に空いた大きな穴を埋めるための天神信仰のはずだったし、対徳川へのカモフラージュが天神信仰だったはずなのに。

 

  • 古九谷を追う 加賀は信長・利休の理想郷であったのか(幻冬舎)抜粋