利常の文化政策(2)利常は時空を超える百万石文化の礎を築く
私:利常の「文化政策」は加賀藩を劇的に変えたが、そこにも利常の人間性が垣間見られる。2代利長の死と豊臣家の滅亡や島原の乱の鎮圧は、利常に権力や信仰の脆さをつくづく感じさせた。
N:権力や信仰の脆さが利常の文化政策にどう影響を与えたのでしょう?
私:100年後や200年後、現在生きているわれわれの誰が語られているだろうか? 人はいずれ忘れ去られる。あらゆるものが忘れ去られる。しかし姫路城、東大寺、厳島神社はいつの世でも観光客が溢れる。その厳島神社のさらに奥、徒歩5分のところに清盛神社はある。平清盛を祀る。しかし観光客はいない。平清盛などに興味はないのだ。
N:利常は文化遺産の永遠性に気づいたのですか?
私:時空を超える文化を目指した。
N:具体的には?
私:利常は役職を設置して「文化政策」を推進した。書物奉行、茶道奉行、御細工所奉行などがそれだ。この場合の奉行とは担当大臣と考えてくれていい。そして名品を収集し、名工を招致し、新ジャンルの開拓に力を入れた。「古九谷」、加賀蒔絵、加賀象嵌、加賀友禅などだ。一気に加賀文化が開花する。能も盛んで金沢は「空から謡が降ってくる」といわれている。
N:百万石文化の礎は利常ですね。
私:美意識において利常には類稀なるものがある。なんといっても桂離宮だ。
N:そうでした。利常と珠姫の4女富姫が八条宮家(桂宮)に嫁いでいるのでしたね。桂離宮をつくったのが利常と聞けば、後の話は聞かなくてもいいくらいです。
私:しかし世の人は桂離宮(建物)は知っていても、つくった利常(人)は知らない。
- 古九谷を追う 加賀は信長・利休の理想郷であったのか(幻冬舎)抜粋