古九谷を追う&古九谷を残す

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鷹峰の天才(2)俵屋宗達

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Ñ:では俵屋宗達が「古九谷」につながるものは何ですか?

私:「古九谷」には「宗達手」がある。宗達は謎の絵師で、生没年が不明だ。素性にも不明なところがある。宗達は本阿弥家生まれで、その本阿弥家から絵師ゆえに義絶されたともいう。

私:宗達を世に出したのは光悦で、厳島神社の「平家納経」の修理にあたり、光悦は若き宗達をチームに加えた。「平家納経」は金銀泥で描かれており、宗達はその画法で有名であった。

N:大聖寺藩にも2人の天才のコラボ作品がありますよね。

私:「色紙貼交秋草図屏風」(石川県立美術館。以下県美)かい。

N:「古九谷」と宗達の関係をもう少し語ってくれませんか。

私:「松樹図平鉢」(県美)は宗達の手だろう。桃山時代の障屏画を思わせるからな。この松は写生を超えて抽象の域に達していて、しかも「動き」がある。宗達の作品にはなによりも動きがある。

N:尾形光琳は?

私:時代がまったく合わない。ところで金沢には「伝宗達」が数多くある。大正2年に墓が発見された(宝円寺・利家の菩提寺)。「宗達会」が毎年法要を営む。与謝野晶子宗達会の立ち上げを推進した。しかし後継者(俵屋宗雪)が金沢にいたことが、金沢に「伝宗達」が数多くある一番大きな原因だろう。

  • 古九谷を追う 加賀は信長・利休の理想郷であったのか(幻冬舎)抜粋