古九谷を追う&古九谷を残す

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(2)牡丹

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私:斎藤菊太郎(古九谷新論)によれば、九谷の画工は『八種画譜』の使い方が上手という。「色絵古九谷の花鳥図は、初期柿右衛門の赤絵花鳥図が焼かれた年次からはやや遅れて、雁行して焼成されたであろうことは想像に難くありません。色絵古九谷の赤絵技法は、初代柿右衛門に倣うものであるのは論ずるまでもありませんが、古九谷の花鳥図は、その山水人物図同様に、ここでもまた八種画譜を作画の資として用いられた節が多分に窺われます。ただ初期柿右衛門の花鳥図が、八種画譜の布置法をそのまま用いて、太湖石を中心とする構図を一歩も出ないのに較べると、色絵古九谷の花鳥図では、画材の資を画冊から取り入れながらも、それがあからさまの直模でないだけに、遂に人に気づかれず今日に及びました」。

  • 古九谷を追う 加賀は信長・利休の理想郷であったのか(幻冬舎)抜粋