古九谷を追う&古九谷を残す

週1くらいの更新になります

東インド会社主導説 角福は中国のブランド

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私:作蔵君、もうそろそろグロージングに入ろう。「古九谷」のメインプレーヤーは利政と利常と利治。そして鷹峰と東インド会社だったよね。

N:東インド会社と利政人脈の「鷹峰」は意外な切り口でした。

私:開窯で説明した通り、「古九谷」は利政(鷹峰)が1期、東インド会社が2期、利常が3期、そして利治が4期となる。

N:東インド会社と「古九谷」の関係をもう少し詳しく教えてください。

私:東インド会社の通商戦略(伊万里・九谷コピー基地戦略)を話そう。東インド会社は景徳鎮のコピー基地として伊万里と九谷を選んだ。景徳鎮でつくれないときは伊万里でつくらせ、伊万里でつくれなくなったら九谷でつくらす。

N:東インド会社の通商戦略とはコピー戦略のようですね。

私:明王朝の滅亡で景徳鎮の生産力が低下する。それを補うため、伊万里(景徳鎮のコピー基地)や九谷(伊万里のコピー基地・景徳鎮のコピーのコピー基地)での制作が始まる。原材料から人材派遣まで、ヒト・モノ・カネ・技術。それらすべてに東インド会社の介在があった。その証拠が「角福」であり、生地移入なのである。「角福」は中国のブランドの一つである。

N:景徳鎮のコピーとしてつくったから中国ブランドの角福がついているのですか?

私:もちろんそうだよ。

N:そうなると「古九谷」の技術が鍋島(伊万里)から加賀に流入する「親戚説」も後藤才次郎伊万里潜入(隠密)説もなくなりますよね。

  • 古九谷を追う 加賀は信長・利休の理想郷であったのか(幻冬舎)抜粋