古九谷を追う&古九谷を残す

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東インド会社のコピー基地(1) 伊万里

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私:では、東インド会社の視点に立つと、鍋島(伊万里)や前田(九谷)はどう映っていたのだろうか? まずは鍋島から。出島の管理貿易で、鍋島は潤っていた。財力にも問題はないし、中国人、朝鮮人もいる。地理的にも便利である。

N:ところで鍋島って関ヶ原の勝ち組でしたっけ?

私:鍋島は家康のお目溢しに与った。そのため、なによりも鍋島は徳川の目を気にした。徳川のキリシタン禁教令の先手を打ってまで、鍋島はキリシタン陶工を追放したのだ。

N:加賀藩に幸運が舞い降りましたね。

私:東インド会社が介在して、利常はついに「玉」(陶工)を手にしたのだ。

 

(2)九谷

N:九谷だ。ではなぜ東インド会社伊万里のコピー基地を九谷にしたのでしょうか?

私:加賀藩とは長崎で接点があり、東インド会社加賀藩の豊穣な文化土壌と人脈と財力、そして、なによりも藩主利常の「古九谷」への渇望を知ったからだな。

N:話が九谷に有利に転がり始めましたね。

私:こうして東インド会社主導で2期「古九谷」が始まる。伊万里での前例があり、ことはスムーズに運んだ。

N:そのうえ京からの人材がなだれ込んできましたものね。

私:加賀を前田が支配したので、京や大坂の豊臣人脈がなだれ込んできた。公家文化あり、武家文化ありだ。加賀藩に「加賀ルネサンス」が起きた。

  • 古九谷を追う 加賀は信長・利休の理想郷であったのか(幻冬舎)抜粋