「古九谷」と吉田屋 鼠生地と半磁器
私:1824年に吉田屋窯は九谷で開窯する。「古九谷」の再興を試みたのだ。ところで、吉田屋は「再興九谷の雄」とされる。では、どうして「再興古九谷の雄」とはいわれないのだろうか?
N:なぜでしょう?ら?
私:「古九谷」の生地さえつくる技術はなかったからだ。
N:鼠生地がつくれなかったのですか?
私:吉田屋は、憧れの「古九谷」を再興するために、「古九谷」発祥の地で窯を開いた。しかし九谷村は雪深く、奥深い。吉田屋は、2年後、なにかにつけ不便な九谷村から山代に窯を移した。その移窯のせいもあるのだろう? 生地は半磁器になる。
N:半磁器とは?
私:石(磁石)に土(陶土)が混ざる。「古九谷」の鼠生地をつくる技術はもはや加賀にはなかったのだ。
N:鼠生地でなければ「古九谷」は無理でしょう!
私:吉田屋の半磁器では発色が劣る。もちろん絵の具がよくなくても発色が劣る。とにもかくにも私は吉田屋に「色のハーモニー」を感じたことがない。だから吉田屋を「再興九谷の雄」とは呼ぶが、「再興古九谷の雄」とはいわないのではないかと思っている。しかし「青手(塗埋手)」は生地を塗り埋める。吉田屋窯は「青手(塗埋手)古九谷」の再興にあったのだろう。
私:ここらでトイレタイム。リフレッシュしようか?
- 古九谷を追う 加賀は信長・利休の理想郷であったのか(幻冬舎)抜粋