(6)切腹の儀式
N:利休の理解がぐんと進みました。
私:利休は「一期一会」をさらに「切腹の儀式」にまで昇華させた。
N:ほんとですか?
私:利休は十字架に磔にされるイエス・キリストの最期を、切腹の儀式で表現した。
N:所作? 茶道具?
私:茶杓は短刀であり、共筒はその鞘。そして鬼桶水差は首桶。風炉は……、茶筅は……、香合は……。
N:……。
私:利休は儀礼にのっとり切腹した。利休の魂は高潔であるがゆえに秀吉との妥協を許さなかった。した。そして利休は殉死することでイエス・キリストになろうとしたのだ。
N:今の茶道にそういうイメージはありませんよね。
私:利休の子孫たちは新しい時代の子として、あるいは新しい空間の子として、新しい茶を発明してきたからだ。だから利休の茶が茶道として連綿と伝えられているのだ。伝統とは再発明で、再発明できない伝統は消えていくのだ。
- 古九谷を追う 加賀は信長・利休の理想郷であったのか(幻冬舎)抜粋