利常を見直そう(1)勤王の顔
私:今度は利常を追おう。利常のコアに迫りたい。利常は、信長や利休と違い、平和な世(元和偃武)を生きた。豊臣か? 徳川か? キリスト教か? 天神信仰か? 利常には、じつは、次第に小さなことになっていった。
N:そうなのですか?。
私:時代が利常をそうさせたのだ。
N:では何が大きかったのでしょう?
私:天皇だな。
N:意外なところに話が飛びましたね。
私:天皇が日本の文化を支えてきた。天皇が日本の美意識を支えてきた。利常は後水尾天皇の「文化サロン」に参加して、そのことを自覚した。日本の歴史を省みると、南北朝時代以前は、天皇に権力が集中していて、天皇の時代には文化の大輪が咲いた。古墳文化も飛鳥文化も奈良文化も、そして平安文化も天皇の文化だ。
N:大仙陵古墳(仁徳天皇陵)も法隆寺も東大寺の大仏も、そして平等院鳳凰堂もですね。
私:古事記も日本書紀も源氏物語もある。勅撰和歌集もある。しかるに武士の文化(鎌倉文化・室町文化)は、天皇のときの豊穣な文化と比べてどうだ? 天皇の文化の綺羅びやかさに比べれば、武家の文化はたかが知れている。
- 古九谷を追う 加賀は信長・利休の理想郷であったのか(幻冬舎)抜粋