(3)世界を見据える
N:ところで、先生、利常の目は世界に向いていましたかね?
私:利常は世界を見据えていた。東インド会社を通じてデルフトに注文した「和蘭陀白雁香合」(県美)をみても、利常の目は世界に向いている。
N:中国へは?
私:中国への高い関心は『八種画譜』の存在が物語る。1620年代の『八種画譜』が「古九谷」の手本とされるほど、利常は中国の事情に詳しかった。海外から輸入品を買いつけるために、長崎に「御買物師」を常駐させていたほどだからね。そして京都から「目利き」を長崎に派遣し、金に糸目をつけず文物を蒐集させている。
N:どんなものを集めたのでしょう?
私:名物裂や中国の漆器、茶道具や色絵陶磁器だな。那谷寺には「万暦赤絵 五彩大花瓶」、小松天満宮には「三彩金襴手龍文双耳瓶」が寄進されている。
N:伊達政宗のような大きなスケールの話がありませんか?
私:時代は禁教令の強風が吹き荒れ、利常はついに世界に羽ばたけなかった。
N:政宗は仙台藩の黒船で太平洋を渡り、メキシコ経由でスペインへ行きましたよ。天下への野望を抱いてのことだと思うのですが。
私:政宗の黒船は1613年で、大坂の陣の前のことだ。まだ豊臣家が健在のときで、そのとき利常はまだ20歳前。
N:利常は生まれるのが10年以上遅かったのですね。
- 古九谷を追う 加賀は信長・利休の理想郷であったのか(幻冬舎)抜粋