古九谷を追う&古九谷を残す

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(4)信長後継

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 N:利常も、利家同様、信長後継を秘かに思っていたのでしょうか?

私:利常からはゼニの匂いがしない。「改作法」は利常の成果だけれども、織田のゼニ経済ではなく、徳川の米経済に軸足を置いているしなあ。

N:「古九谷」も売ろうという気配はありませんね。

私:利常と信長との接点は一つしか思いつかない。利常は瑞龍寺(利長菩提寺)の「織田信長御分骨廟」を建立した。1654年、利常の死の4年前のこと。

N:しかしこの程度では……。

私:勤王家としては信長と似たところはある。利常はなによりも天皇の義兄で、親王の義父だったから。それと、二人とも手仕事を大切にした。

N:信長が手仕事を?

私:そうだよ。信長の伊勢神宮式年遷宮の再興を話しただろ。式年遷宮があるおかげで、日本の手仕事が現代まで継承されているんだ。

N:へえ。そういえば信長は「おおうつけ」で、利常は「鼻毛のうつけ」……。

私:おいおい、作蔵君。それはともかく、利常のアイデンティティーは利家で、利家のアイデンティティーは信長。この構造は一貫している。

N:利家の信長崇拝と比べるとひどく見劣りがしますが……。

  • 古九谷を追う 加賀は信長・利休の理想郷であったのか(幻冬舎)抜粋