古九谷を追う&古九谷を残す

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茶人を見直そう(1)茶人とは

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 私:ここからは茶人を語ろう。古田織部、金森宗和、そして小堀遠州と進めよう。

N:そもそもですが、茶人とは? 

私:茶人、茶人と気安く言うけれど、織部遠州は大名だ。織部は山城西岡藩3万5000石の大名で、遠州は近江小室藩1万5000石の大名だ。

私:茶室は利休と織部の時代は「密談」の場所だった。生殺与奪が絡んだ。しかし時代は移り、遠州の時代は元和偃武の平和な世は、茶室はおもてなしの世界となる。いうなれば、遠州は茶の職人かな? 

N:茶の職人とは?

私:茶事のアドバイザーでコーディネーターかな。しかし茶人は茶事ばかりでなく文化全般を取り仕切る。たとえば将軍の御成。膳の内容は? 二の膳、三の膳は? 役職や身分差は? 将軍の駕籠かきも膳につく。使う食器は磁器か陶器か? 蒔絵はどの役職まで? 能も茶会もあるし、改めて膳もある……。

N:文化全般の指南役といった感じですね。

私:庭の作事などは初歩の初歩だ。そもそも御成御殿や御成門の建設がある。加賀藩5代綱紀のとき、将軍綱吉の御成があり、総費用は36万両。いまならスカイツリーと東京ドーム、二つが同時に出来上がる。

  • 古九谷を追う 加賀は信長・利休の理想郷であったのか(幻冬舎)抜粋