古九谷を追う&古九谷を残す

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(3)金森宗和

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私:次は金森宗和を語ろう。宗和は野々村仁清(京焼色絵の祖)の御室窯をプロデュースした人物で、仁清を色絵の世界に導いた。県美の第1展示室には国宝の「雉香炉」と重文「雌雉香炉」のみが常設展示されている。

N:いいものが県美にありますが、何か理由でもあるのでしょうか?

私:長男から金森家は代々加賀藩に茶頭として仕えていたからだ。

N:仁清は「古九谷」をつくっていますね。

私:仁清は土もの(陶器)。たとえば国宝の雉。緑色が全面に使われているので、一見すると「古九谷」風だが、赤遣いが「古九谷」と異なる。そうそう、おもしろい話が京極家(丸亀藩)にある。国宝の「色絵藤花茶壺」(MOA美術館)など、仁清の茶壺が複数伝来しているが、それらは一度も使われなかったという。それらは藩主の「好み」に合わなかったらしい。

N:「好み」

N:茶人が仁清の豪華な色遣いを好むでしょうか?

私:宗和は「古九谷」風の色遣いを好んではいない。

N:え!

私:仁清が派手ともいえる色遣いになったのは宗和没後からだ。宗和がプロデュースした仁清の作品は、「古九谷」の色絵磁器の世界ではない。丸亀藩の国宝の茶壺も宗和没後の作だ。

N:当初、金森宗和は3期「古九谷」のプロデューサーの位置づけでしたが、詳細に検討すると、そうではないという結論ではありませんか?。

私:そうなるね。

N:小堀遠州も「古九谷」のプロデューサーであるかどうか? あらためて検討したほうがよさそうですね。

  • 古九谷を追う 加賀は信長・利休の理想郷であったのか(幻冬舎)抜粋