古九谷を追う&古九谷を残す

週1くらいの更新になります

(4)小堀遠州

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私:宗和に引き続いて、小堀遠州を語ろう。前田家と小堀家の親密な関係は、前にも述べたが、遠州没後に前田家は甥と孫を召抱えているくらいだ。では遠州はほんとうに「古九谷」のプロデューサーなのか?

N:そこですよね、問題は。ここまでの先生の話の展開では、プロデューサーとは茶人で、利常は「芸術を利休の茶事の世界の完遂」と考えている。だから、プロデューサーを茶人としてきたのでしたね。

私:ざっと遠州を紹介すると、遠州は日本のレオナルド・ダ・ビンチと呼ばれることがある。それくらい芸術的なセンスが光り、守備範囲も広く、茶の湯、作事、作庭、華道、七宝に及ぶ。まつの芳春院(京都)や長流亭(重文・大聖寺所)は前田家ゆかりだ。

N:遠州の茶室といえば、海外の日本通にも、擁翠亭は有名です。

私:13も窓があれば、そりゃ驚くわな。

N:キリストの囚えられた薄暗い牢獄とは違いますが……。

私:擁翠亭はいまは鷹峰にあるが、当初は前田家の家臣の後藤覚乗(金工師)の屋敷にあった。しかし子孫が千家好みではないという理由で他に譲渡した。

N:その子孫、利休を理解していますね。

  • 古九谷を追う 加賀は信長・利休の理想郷であったのか(幻冬舎)抜粋