古九谷を追う&古九谷を残す

週1くらいの更新になります

(6)小堀遠州はキリシタンか

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私:さてここからは遠州はプロデューサーか? それに答えを出そう。

N:遠州がプロデューサーでないとすれば、遠州は何になるんでしょうか?

私:アドバイザー&コーディネーターかな。もしそうなら、遠州は単なる茶の職人だということになるね。・

N:じつは利休の話を聞いてから、キリシタンであるかないかが、事の核心だと思うようになりました。つまり遠州キリシタンかどうかが、すべての核心でしょう。

私:では遠州に利休的なものがあるのか? 

N:遠州の茶の師は織部のはずです。織部は利休と同じく殉死していますが、しかし遠州は殉死していません。ですから遠州キリシタンではないのでは?

私:そうなるよな。利常がキリスト教から離れたように、遠州も師の織部から離れ、キリスト教からも離れたんだ。

N:棄教した証拠はありますか?

私:そもそも遠州キリシタンであったという証拠はない。だから棄教した証拠はないが、『宗甫公(遠州)古織へ御尋書』がある。遠州の心の中が垣間見える。織部とは大坂の陣の前にすでに距離を置いているのだ。織部切腹で光悦が鷹峰送りになるが、遠州には何のお咎めもない。しかも1623年からは有能な行政官だったのだろう。遠州は幕府の役職についている。

N:役職? 

私:伏見奉行だ。幕府から伏見奉行を仰せつかるくらいだから、キリシタンなわけはない。利常と遠州の絡みの話は数多く伝わるが、しかし、利常は遠州に心酔したかどうかだな。

N:「古九谷」のプロデューサーといっても、実質、アドバイザー&コーディネーターくらいのものでしょ? でもそれなら、遠州は茶人として何に精神性を置いたのでしょうか?

私:禅宗に心を寄せていた。少年時代から大徳寺で禅を学んでいるからな。そもそも茶の湯禅宗を広める手段であったことから、禅宗と茶人の結びつきは深いのだ。

  • 古九谷を追う 加賀は信長・利休の理想郷であったのか(幻冬舎)抜粋