古九谷を追う&古九谷を残す

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(2)利政が利常を動かす

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私:ここからはふたたび利常の心のコアに迫ろう。前にも触れたが、利常のアイデンティティーは利家だ。しかし利常は利家の子ではあるが、まつの子ではない庶子だ。しかも利常自身の権力基盤は徳川にあり、前田にはない。その徳川もいちいち難癖をつけ、あれをしろ、これをするなと命令する。これじゃ、堪ったもんじゃないと利常は思っていた。

N:大坂の陣で地に落ちた自分の評判もどうにかせにゃならん、ということもありますしね。

私:ところが、京には「寛永の文化サロン」があった。京では文化活動が身分にとらわれず、文化サークルがそれぞれに活発に交流していた。

N:鷹峰人脈との出会いが利常に明かりを灯したのでしょうか?

私:利政(異母兄)に会ったことも大きかった。

N:どう大きかったのですか?

私:利政は京に隠棲し、豪商の角倉と縁戚を結ぶ。利政は角倉の両替部門をサポートしていた。そうそう、利家はそろばんを戦場でも手放さなかったと言われるくらいの経済通だった。そのDNAを受け継いで利政は角倉の事業をさらに拡大していく。前田家の金看板も利政に有形無形の力を与えていたのだ。そして利政は財力で京の寛永の文化サロンをサポートしていた。

N:利常は驚いたでしょうね。

私:そうね。一方利常はそんな文化サロンで自由を満喫した。そして名物収集家のコレクターから名物創出のスポンサー、ひいては天皇を中心とする日本文化のスポンサーになろうと決意しだす。そして利常はすぐ行動した。利常は長崎に連絡して、「御買物師」と京から派遣した「目利き」に、金に糸目をつけず、海外の優品を収集させた。そしてそれらは加賀の職人たちの手本となり見本となった。つまり利常はコレクターからイノベーターに変身したのだ。「百万石文化」はほどなく花開いた。

N:利常の唯一の自己実現の場だったのでしょうね?

私:やんちゃなバサラのあんちゃんは、家康から文化立藩を指令されたことを逆手に取った。資金はうなるほどある。

  • 古九谷を追う 加賀は信長・利休の理想郷であったのか(幻冬舎)抜粋