古九谷を追う&古九谷を残す

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(4)利常は霙だ 

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 N:ならば利常はどうみればいいのでしょう? 先生の冷徹な目で利常を語ってくれませんか?

私:利常の立場は、前田であり、徳川である。しかし、前田であり、徳川ではないとか、あるいは前田ではなく、徳川である、ではない。

N:なんだか微妙ですね。

私:で、名乗りも、菅原であり、源である。茶人でいえば、利休や織部の魂を好みながらも、遠州にも心を寄せる。つまり、利休や織部であり、遠州でもある。

N:そういえば、利常の文化政策においても、公家文化でもあり、武家文化でもありましたものね。宗教でも、キリスト教であり、天神信仰でもありました。

私:さらにわかりやすくするために、雨と雪と霙(みぞれ)の話をしよう。雨が前田で、雪が徳川。雨が菅原で、雪が源。雨が利休や織部で、雪が遠州。雨が公家文化で、雪が武家文化。雨がキリスト教で、雪が天神信仰だ。

N:……。

私:今までの説明をくり返せば、利常の立場は、前田(雨)であり、徳川(雪)である。ということは、すなわち霙(利常)ということではないか? すなわち、霙は、雨の性質もあり、雪の性質もある。だけれども、雨ではないし、雪でもないのが霙なのだ。

N:そうかぁ。だから、前田でもあり、徳川でもあるが、しかし、前田であり、徳川でないとか、あるいは、徳川であり、前田ではないとか、そうではないのですね。なるほど利常は霙なんですね。だから、利常は今まで人の口にのぼらなかったのも、利常の霙ゆえのわかりにくさだったのですね。

私:信長は安土で「アジアのローマ」を目指した。利家は尾山(金沢)で「信長の理想郷」を目指した。兄は高岡で「右近の理想郷」を目指した。ならば、自分(利常)は…。

N:利常は何を目指したのでしょうか? 利常が、目指したもの、それは「アジアのローマ」でもなく、「信長の理想郷」でもなく、「右近の理想郷」でもなかったでしょう?

私:芸術・文化の都かな? 「アジアのバチカン」かな? 時空を超える文化「国家」を利常は目指して陣羽織を着た。文もあり、武もある芸術と文化の都として加賀藩を建立したのだ。バチカンは国(武)でありながら、カトリックの総本山(文)でもある。それが利常の加賀藩なのだ。

 

 ● 古九谷を追う 加賀は信長・利休の理想郷であったのか(幻冬舎)抜粋