古九谷を追う&古九谷を残す

週1くらいの更新になります

感想 その2

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読み終わりました。達成感、満足感とともに、一抹の寂しさも感じました。もう、この二人の世界を共有することができない。二人と言いましたが、Nさんは、実在の人ですか?
こんな素敵な本に名前を入れていただき嬉しいです。古九谷の部分は、ネットで、写真を見ながら読みました。西野さんから以前、芸術論、聞いたっけ? 新鮮でした。芸術、歴史だけではなく、哲学、経済学、経営学など色々な知識が披露されてました。話がとんでも対話形式だと違和感もなく読めました。ただ、私に知識がないため定説なのか西野さんの独自の解釈なのかが分からない部分もありました。楽しかったです。信長や前田家三代、特に名前すら知らなかった利常、陶器にも興味が湧きました。読み返します。今度はもっと時間をかけて。
信長・利休の青手を注文しました。
とてもきれいでびっくりしました。

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西野さんの博識、話の展開の巧みさ、表現力の豊かさなど、
敬服しながら読ませていただきました。
信長の捉え方もさることながら、前田家の歴史の概要がよくわかりました。
徳川家の戦略も知恵者がいたのですね。関ヶ原、豊臣、キリシタン、この三つに対する徳川の戦略は、私見ですが的を射ていると思います。
次の鉄郎饅頭も楽しみにしております。

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「古九谷を追う」は、信長や利家、秀吉が登場する歴史の中でも華やかな時代で、関心を持って読みました。知っているようで、知らないことがたくさんあり、私はすっかいN君になって西野先生のご講義をたのしく拝聴しました。対話方式でN君の素朴な疑問い分かりやすく応える形が新鮮ですね。加賀前田家が存続できた理由の分析には特に興味を惹かれました、西野さんは語学だけでなく歴史にも造詣が深く感嘆しました。織田信長が魅力あふれる人物として描かれていましたね。次回に向けて何か温めていらっしゃるものがあるのでは? 期待しています。

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ご苦労作「古九谷を追う」を送りくださりありがとうございました。野心的な信長見直し論に古九谷をからませ、全体を通して前田家三代の文化立国を論じている点など、とても大きなスケールの歴史館に関心しました。

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たしかに 前文は面白かった
あの時代は 男同士の情交率は 今のタイ並みだったでしょうね
しかしだなあ 読み進めていくと苦しかった
問答形式になっているのだが キャラが立ってないから
著者の書きたいことを対話形式にしているだけ
古九谷は図版が欲しいところ
伊万里とここが違う!は 絵で見るのが一番かと
あの時代の歴史ものは「キリンが来る」じゃないけど
いろいろな推理ができるから面白い
前田家 ずいぶん調べたみたいですね
石川県の人たちには興味深いかもしれない…

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きょう●●●センターに一週間ぶりに出勤したら
西野さんからのメールに作品の下書きがあり
一仕事終えた後、一気に最後まで読みました。

前半が圧倒的に面白く古九谷論ではなく
書きたかったのは信長論だったんだと気づきました。
フロイスの話を聞いてキリスト教帝国主義を感じたことや
「茶器」の領土化など信長を語って縦横無尽、
大変面白く読みました。

前田3代、利常は「霙」もなかなかな表現でした。

フロイスからフェルメールゴッホまで
私は専門家ではないので、歴史的裏付けは分からないのですが
想像力に頭が下がりました。

また「古九谷」にも良いものとそうでないものがある
そこに古九谷の真実に迫るヒントがあるのだと推察しました。

取り敢えず、ありがとうございました。

 

●●この先もその大きなスケールの歴史観で本を著してくれ。
何年もかけて調べ上げ、熟考した結果の本であることはすぐにわかった。
よくぞやった。

それにしても、学生時代から基本的に変わらないなあという印象だ。
精神性と創造物で評価されたいというのも、信長や勝利に憧れるのも西野らしい。
きっと評価されるよ。

人はそれぞれモノの見方が違うので、西野の見ている、あるいは見たい世界と
私のそれとは当然違ってくるだろう。
私も魂からモノを見ることはあっても、西野のように政治面からモノを見ることはないから、
その視点の違いもおもしろかった。

古九谷の写真は、私も探してみて、西田宏子『日本陶磁大系第22巻』のPDFで見つけた。
本物を見たわけではないので、正確なところはわからないが、写真を見る限り、
東博の「牡丹蝶文捻大皿」(オリジナル?)も、重文の「亀甲牡丹蝶文大皿」(コピー?)も
どちらもすばらしく、引き込まれた。

東博の方は、牡丹の花びらと茎、葉が幾重にも重ねられ織りなし、その葉の向こうに
蝶が置かれているので、西野の言うように、色のヴァルールによる立体感が皿全体に
段階的に出ている感じを受ける。一方、重文の方は、牡丹の花と茎、葉の重ね合わせは
東博ほどではないが、その濃厚な紫の花と濃厚な緑の茎・葉と薄く淡い色合いの蝶との間に
空間、間を感じさせる。つまり、東博は花から蝶にいたるまで段階的なヴァルールで
描かれているのに対し、重文は牡丹と蝶が間を挟んで対比されている趣があって、
どちらも感動的だ。
コロナが収束したら、東博と梅沢記念館で実物を見てこようと思う。

色のヴァルールで思い出したが、ルネサンス(ダビンチ)の空気遠近法や一点遠近法は
画家が画家の視点から、近い対象物から遠い対象物へと視点を移すことによって
空間性、立体性を出しているので、最後の晩餐の遠近法に顕著なように、描かれているすべての
線がイエスのこめかみ一点に収束する。これは、画家からイエスを見ている視点だが、
東方正教のイコンでは、逆遠近法によって、線は奥の方から見る者の手前で収束する。ルネサンスは、
人間復興で、人間の視点から神の世界を見ているが、ルネサンスを経験していない正教のイコンでは、
神から人を見ている。イコンは神がイコン画家に描かせている、だからサインはない。

ルネサンスを人間中心世界とするなら、正教は神中心の世界で、その違いが絵画に表れているのは
とても興味深い。現代人が当たり前と感じる立体性や3次元性、空間性は、正教の世界では
まったく違った意味をもっていることは宗教・文化の多様性を示していておもしろい。
私が一番興味があるのは、この多様性だ。


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また、語り手「私(鉄郎)」のモノローグではなく、上智のロシア語学科2年生の「作蔵君」とのダイアローグという形式は、西野塾で培った知恵かと見た。あるいは、2年生だった西野(伊藤さんの亡くなられた翌年から再起をかけた西野)に、その時代には意識していなかった問題の数々を数十年後の西野が語りたくなったということなのかとも思う。

一番意外だったのは、学生時代の西野では考えられない「美」に関しての論考だった。学生時代は、およそ美などには関心なさそうに見えた(失礼)。おそらく、美から古九谷に向かったのではなく、古九谷から美意識に導かれたのかと邪推した。伊万里東インド会社のコピー基地、古九谷=コピー基地のコピー基地説は、なるほど説得力があると感じた。

私は戦国時代についてそれほど知識があるわけではないので、初めての知見だらけでとにかく刺激的だった。ただ、どこまでが定説でどこからが西野独自の説なのかがよくわからなかった。安土城モンサンミシェルには驚いたが、これはNHKでも取り上げられていたようだし、そういう説もあるんだね。一方、古九谷論考では、引用もあるので、どこからが西野のアイデアかはある程度見えてきた。

信長の最期を締めくくる言葉が「諦めた」であろうはずがない、という主張はまったくその通りだろう。明智憲三郎によれば、『信長公記』には「是非に及ばずと、上意候。透(すき)をあらせず、御殿へ乗り入れ」とあって、この「是非に及ばず」のあとの「上意(命令)」したという言葉は命令として発せられたもので、「直ちに御殿へ移って戦闘態勢をとった」、つまり、「是非に及ばず」の意味は、「それが是か非か、本当かどうか、論ずる必要はない!それよりも即刻戦え!」という意味で森乱丸に命じたということだとあって、西野の解釈と通ずる。

一番おもしろかったのは、利休の一期一会=最後の晩餐説、つまり、茶の湯=聖体拝領。最後の晩餐の食堂=茶室、ワイン=抹茶、ワイングラス=髑髏説で、刺激的だ。ただ、聖体拝領では、ワインとともにパンが聖体であり、それを信徒が分け合うのが聖体の秘跡だそうだが、そうすると、利休においての聖パンは何なのだろう?ワインだけということはありえない。パンは茶道の茶菓子なのか?このパンには触れてほしかった。
正教では、信徒はハリストスの聖体・尊血に聖変化したパンと葡萄酒を、感謝のうちに領食するというが、利休の茶道では、聖変化する前の存在とは何だったのか?聖体礼儀のおけるワインもパンも、単なるワイン、単なるパンではない。そのもととなるハリストスを思い起こしながら聖変化したものをいただく。利休の茶道における聖変化とは何なのか?

二つの牡丹の比較もおもしろかった。東博の「牡丹蝶文捻大皿」(オリジナル?)は、表紙にもあるし、東博のホームページでも見られるが、重文の「亀甲牡丹蝶文大皿」(コピー?)は、探してみたが、写真が見つからない。どうしてなのか?コピー?とばれるのがまずいから見せたくないのか?西野の本でも、両方の写真を比較してくれるともっとよく違いがわかっただろうに、その点が、少し残念だ。

最後に、「生きるとは?偉人は自己重要感を高める術を持っている」という信長論に、西野の信長に対する憧れ、西野自身の生きる意味を見たような気がする。あとがきにかえての「勝利」という言葉にこだわるところが西野らしいと感じた。

とにかく、久しぶりに刺激的で考えさせられる本を読ませてもらってよかった。とても充実した読書体験で、濃密な時間を過ごすことができた。

次作を楽しみにしている。

 

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