信長は勝つ予感のない戦いはしない
今度はイチローを思い出してください。年間262本のヒットを打ったときでさえ、イチローはガッツポーズをしたでしょうか?
信長は、もしかしたら、桶狭間ではガッツポーズくらいはしたかもしれませんが、長篠でも、一乗谷でも、イチローであったと思うのです。
信長は勝利の予感がある戦いでなければ、決して戦場には出ませんでした。
つまり勝つ予感のない戦いは信長はしなかったのです。
イチローは勝利の予感(ヒットを打つ)の中で、勝利している(ヒットを打っている)のです。
信長も、イチロー同様、勝利(相手を壊滅させる)の予感の中で、勝利している(相手を壊滅させている)のです。
では、勝利の予感の中で勝利するとは、どういうことをいうのでしょうか?
学生時代の学習を例に取りましょう。まず得意科目をつくる。その次に不得意科目に焦点を当て、その不得意科目に時間をかける。点数があがるまで努力する。
その上で、さらに得意科目の点数をあげる……。
そうやって生徒はオールラウンドプレイヤーになっていくのです。す。そして成績を下げられない重圧を背負って学習することが、子どもたちができる勝利の予感の中で勝利する体験だと私は思っています。
- 古九谷を追う 加賀は信長・利休の理想郷であったのか(幻冬舎)抜粋