古九谷を追う&古九谷を残す

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信長は攻撃スタイルではなく防御スタイル

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信長の優れているところはバランス感覚です。長所と短所を客観的な視点で絶対評価できるところです。

また長所をバージョンアップ的な方法で身につけるをことを避け、むしろ欠点を克服することに目を向けたところです。

しかも欠点の克服の仕方が、信長的なのです。

信長は桶狭間こそ攻撃しましたが、長篠にしろ、鉄甲船にしろ、信長は攻撃するのではなく、防御を固めました。

信長は自軍の欠点の克服のため、防御を中心とした攻撃プランで戦うのです。吉田氏のような攻撃スタイルではなく、山下氏や貴乃花氏のような防御スタイルなのです。

 長篠では武田騎馬軍団の突撃を防ぐために三段防御柵を設けます。また、毛利軍との大坂湾決戦では、村上水軍焙烙火矢を防ぐために、木造の船に鉄板を貼りつけます。

 防御柵を設けるだけですし、鉄板を貼り付けるだけなのです。

信長は防御の根幹がわかっているので、具体策はあっけないほど簡単です。

そうでなければ、欠点の克服には、時間もかかりますし、費用もかかってしまうのです。

そうそう、お市の小豆の袋(信長が袋小路に陥り絶体絶命のピンチに陥る)のとき、信長は単騎一目散に、越前金ヶ崎から京に逃げ帰ります。なんとも安上がりな防衛策でしょう!

信長の戦いは別次元ですから、後世のわれわれさえもわかりにくく、当時の彼らはキツネに取り憑かれたようにアッというまに壊滅状態だったことでしょう。

  • 古九谷を追う 加賀は信長・利休の理想郷であったのか(幻冬舎)抜粋