信長は本能寺に島井宗室に会うために上洛した
いよいよ本能寺に向かいましょう。
天正10年5月29日(この年の5月の最終日)、大雨の中、信長はわずかの小姓衆のみを率いて上洛します。そして本能寺に宿泊します。
6月2日未明、本能寺の変が起こり、信長は明智光秀の大軍に自害に追い込まれます。
本能寺の周囲には堀が張り巡らされていたとはいえ、岐阜城や安土城ではありません。
信長は油断を突かれてしまいました。
頭脳明晰な信長とはとても思えないとも言います。
しかし、ほんとうでしょうか? 信長に限ってそんなことがあるのでしょうか?
圧倒的な努力をするのが信長です。
圧倒的に周到な準備をするのが信長です。
信長は入念な準備をして、小姓衆のみを率いて上洛したのです。
では、それは何のためにでしょうか?
茶会をするためです。
小姓に「大名物茶道具」38点を持たせたのです。
- 古九谷を追う 加賀は信長・利休の理想郷であったのか(幻冬舎)抜粋