古九谷を追う&古九谷を残す

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徳川の「裏」戦略(1)利政の改易

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 私:前田に戻り、次は前田利政を語ろう。利政は利家とまつの次男で、能登七尾(小丸山)城主。利政が歴史に登場するのは関ヶ原合戦、まさにその時で、家康前田家が生き残りのために家を二つに分けた時だ。

N:真田家と同じですね。

私:前田家を利長(長男・徳川)と利政(次男・豊臣)に二つに分けた。関ヶ原合戦では、利長は金沢から出陣するが、利政は金沢から出陣せず。

N:利政の戦後処理は?

私:利政は西軍に加担したと見なされ改易。一方利長は加増36万石で120万石の大大名となる。

N:利政の改易処分は他と比べると妥当ですか?

私:石田三成19万4000石(斬首)、増田長盛20万石(追放)、小西行長20万石(斬首)、長宗我部盛親22万2000石(追放)、宇喜多秀家57万4000石(八丈島)。そして利政21万5000石(追放)だ。

N:首班並の処分ですね。

私:家康の作為を感じる。利政を潰し、No.2戦略への布石として利長を生かしたのだ。

 

●古九谷を追う 加賀は信長・利休の理想郷であったのか(幻冬舎)抜粋