古九谷を追う&古九谷を残す

週1くらいの更新になります

信長の経済論(1)大判・小判

 

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 私:さてここからは信長の「経済論」を語ろう。次の三つの謎を語ることで、信長の経済論の骨格を浮かび上がらせる。一つ目は天下人信長の大判・小判がない謎。二つ目は織田の旗印が「永楽通宝」の謎。三つ目が永楽通宝の流通範囲の謎。

N:大判、小判といえば、秀吉の天正大判・小判が有名ですし、家康の慶長大判・小判が有名ですね。

私:家康の慶長の大判・小判は豊臣家の金(キン)300トンを奪いつくられる。家康は秀吉よりも偉いことを誇示するために金の純度を高くする。そして江戸の町のインフラ整備に一挙に使う。江戸は空から大判・小判が降ってきて、空前の好景気だ。そしてそれは家光の東照宮の原資でもある。

N:秀吉にはこの手の話はありますか?

私:聚楽第での長男鶴松の誕生を祝う「金配り」。200メートルに金銀36万両を並べる。

N:信長にはこの手の話は?

私:ない。信長も秀吉もお金の「いろは」は、お金=信用だから、金貨は流通させるわけはない。秀吉の金貨は褒美専用で、信長のそれはなんと茶器だったのだから。信長の茶器については後ほどくわしく述べよう。

 

●古九谷を追う 加賀は信長・利休の理想郷であったのか(幻冬舎)抜粋