(5)小堀遠州と綺麗さび
私:次は遠州の美意識に移ろう。遠州は「古九谷」の作風を決定づけた。その作風を綺麗さびという。
N:綺麗さびとはどういう作風なのでしょう?
私:わびさびから脱却して誰からも美しいといわれる美が綺麗さびで、その美をさらに誰もが驚嘆する美へと「古九谷」作家は昇華させている。そうそう、「綺麗」は後水尾天皇の「文化サロン」でできた言葉なのだ。
N:そうなのですか。綺麗さびについて、もう少し詳しく説明してくださいませんか?
私:茶人の好みを一言で表すなら、利休の黒、織部の緑、遠州の「白」となる。遠州の白とは磁器のこと。利休も織部も陶器で、磁器ではなかった。そして遠州は綺麗さびの茶風を発明する。
N:遠州の綺麗さびの茶風とは?
私:遠州の茶は「武家茶道」で、大名の交際際儀礼(もてなし)の必須の教養となる。遠州は、茶人でありながら、大名でもあり、あるいはまた大名でありながらも、茶人であったので、遠州は織部の茶をさらに武家好みにしたともいえる。ともあれ遠州の時代は利休や織部と違い、「元和偃武」の平和な世なのだ。
N:遠州の茶には平和な時代の風が吹いているのですね。
私:茶室は明るい。見た目が美しい(わびさびから脱却した)白い磁器が明るい茶室に映える。「綺麗!」(今ならかわいい!)と誰もが驚嘆する美が綺麗さびなのだ。そして
「古九谷」には綺麗さびの世界は広がっている。
- 古九谷を追う 加賀は信長・利休の理想郷であったのか(幻冬舎)抜粋