古九谷を追う&古九谷を残す

週1くらいの更新になります

新古九谷論

感想 その2

●●読み終わりました。達成感、満足感とともに、一抹の寂しさも感じました。もう、この二人の世界を共有することができない。二人と言いましたが、Nさんは、実在の人ですか?こんな素敵な本に名前を入れていただき嬉しいです。古九谷の部分は、ネットで、写真…

感想 その1

●戦国期バサラで生き抜いた前田家は、安定期に入ると陣羽織に代わるものとしての「古九谷」を産んだ。 「古九谷」の部分が多ければさらに良かったが、信長の後継者としての前田家と、安定期を生き抜く美術国家としての代表格「古九谷」を生み出す前田家の生…

(12)普遍性を求めて

私:この3日間の議論を通じて、作蔵君は、時代を貫く普遍性を感じ取ってくれただろうか? 視点についても、国内のみの視点ではなくて、世界史的な視点でものを見る重要性を、信長・利休を通して感じ取れただろうか? N:キリスト教で戦国を終わらせると決意…

(11)時空に残す前田家

私:作蔵君、ふいに作蔵君が誤解していたら……。気になり始めた。スティーブ・ジョブズやイーロン・マスクだと理解しているのかな? N:何の話でしょうか? 私: 「古九谷」を作ったのがイーロン・マスクやスティーブ・ジョブズなのだよ。 N:どういうことで…

(9)古九谷の中に信長をみた 

N:先生、もう少しだけ「古九谷の中に信長をみた」を語ってもらえませんか? 私:作蔵君、金沢はお茶会が盛んで、長年、和菓子の消費額で全国一位なのは知っているよね。利家の頃から、京から多くの茶人を招いたからで、利常にいたっては裏千家始祖の千仙叟…

(8)もしゴッホが「古九谷」をみたら

N;この3日間は塾のときの幸せな時間を思い出しました。ありがとうございました。また夏、帰ってきます。 私;作蔵君、ちょっと「古九谷」をゴッホ絡みで語らせてくれないかい? N;ゴッホと「古九谷」。どんな話の展開になるのでしょう。 私;もしゴッホが…

(7)「青手(塗埋手)古九谷」は信長と利休の「古九谷」だ

N:もうこれで最後のリクエストです。信長・利休から「古九谷」への流れですが、もう一歩突っ込んだ話が聞きたいのですが……。 私:作蔵君、ありがとう。そのことを語りたかったのだよ。これからが私の新「古九谷論」の結論になる。さて「古九谷」を絵画性で…

(6)「古九谷」の何が真に素晴らしいのか?

N:よくわかりました。では次ですが、今私が一番知りたいことを質問します。一体全体「古九谷」の何が真に素晴らしいのでしょうか? 私:私には「牡丹」(東博)が印象派の油絵に見える。ある時、印象派以前の油絵をまとめてみて、とても古臭くて驚いた。 N…

(5)「古九谷」伊万里説は論外だ

N:先生! 緊急提案です。このままでは、私の知りたいことが聞けずに終わりそうな気がしてきました。質問させてください。いいですか? まず「古九谷」産地論争=「古九谷」伊万里説についての先生の見解を教えてください。 私:「古九谷」伊万里説なんて、…

(4)利常の「古九谷」は陣羽織

私:さあいよいよ約束の芸術的なアプローチで「古九谷」を語る時が来たね。利常は自分の好みを「古九谷」に爆発させたんだ。ある「古九谷」構想が利常に浮かんだ。「古九谷」――「陣羽織」構想だ。そう、利常の「古九谷」は陣羽織の世界なんだよ。 N:陣羽織…

(4)利常は霙だ 

N:ならば利常はどうみればいいのでしょう? 先生の冷徹な目で利常を語ってくれませんか? 私:利常の立場は、前田であり、徳川である。しかし、前田であり、徳川ではないとか、あるいは前田ではなく、徳川である、ではない。 N:なんだか微妙ですね。 私:…

(3)利家と利長を思う利常

私:そして利常は父(利家)を思い、兄(利長)を思った。 N:利常は利家をどう見ていたのでしょうね? 私:利家の織田家での存在は、一前線部隊の将として柴田勝家に追随する武将という立場だった。 N:まだ24万石ですものね。 私:一方豊臣政権での利家は…

(2)利政が利常を動かす

私:ここからはふたたび利常の心のコアに迫ろう。前にも触れたが、利常のアイデンティティーは利家だ。しかし利常は利家の子ではあるが、まつの子ではない庶子だ。しかも利常自身の権力基盤は徳川にあり、前田にはない。その徳川もいちいち難癖をつけ、あれ…

エンディング(1)利常は「古九谷」を陣頭指揮する

N:そうなるとプロデューサーの問題はどうなりますか? 遠州はアドバイザー&コーディネーター以上の存在になりませんか? 私:たしかにそうなのだが、利休の茶室の件から考えてみても、利常は「古九谷」は一人利常のみの関与の意識ではなかったか? 利常は…

(7)利常と茶人たちとの距離

私:もう「茶人を見直そう」を締めくくろう。利常が茶人たちをどう見ていたかのか? 利常の評価基準に基づいて、3人の茶人たちを改めて語り直そう。 N:利常の基準は何だったのでしょうか? 私:利常の評価基準は「魂」であり、利常が好んだのは、利家や信…

(6)小堀遠州はキリシタンか

私:さてここからは遠州はプロデューサーか? それに答えを出そう。 N:遠州がプロデューサーでないとすれば、遠州は何になるんでしょうか? 私:アドバイザー&コーディネーターかな。もしそうなら、遠州は単なる茶の職人だということになるね。・ N:じつ…

(5)小堀遠州と綺麗さび

私:次は遠州の美意識に移ろう。遠州は「古九谷」の作風を決定づけた。その作風を綺麗さびという。 N:綺麗さびとはどういう作風なのでしょう? 私:わびさびから脱却して誰からも美しいといわれる美が綺麗さびで、その美をさらに誰もが驚嘆する美へと「古九…

(4)小堀遠州

私:宗和に引き続いて、小堀遠州を語ろう。前田家と小堀家の親密な関係は、前にも述べたが、遠州没後に前田家は甥と孫を召抱えているくらいだ。では遠州はほんとうに「古九谷」のプロデューサーなのか? N:そこですよね、問題は。ここまでの先生の話の展開…

(3)金森宗和

私:次は金森宗和を語ろう。宗和は野々村仁清(京焼色絵の祖)の御室窯をプロデュースした人物で、仁清を色絵の世界に導いた。県美の第1展示室には国宝の「雉香炉」と重文「雌雉香炉」のみが常設展示されている。 N:いいものが県美にありますが、何か理由で…

(2)茶人 古田織部

私:さて、茶人の織部を語ろう。織部は漫画『へうげもの』(山田芳裕)で一躍世間に知られるところとなる。作蔵君は読んだかな? N:はい。織部に限らずどの登場人物も欲があり、人間臭くて、司馬遼太郎の『国盗り物語』のようでした。 私:ほお。利休の茶の…

茶人を見直そう(1)茶人とは

私:ここからは茶人を語ろう。古田織部、金森宗和、そして小堀遠州と進めよう。 N:そもそもですが、茶人とは? 私:茶人、茶人と気安く言うけれど、織部や遠州は大名だ。織部は山城西岡藩3万5000石の大名で、遠州は近江小室藩1万5000石の大名だ。 …

(4)信長後継

N:利常も、利家同様、信長後継を秘かに思っていたのでしょうか? 私:利常からはゼニの匂いがしない。「改作法」は利常の成果だけれども、織田のゼニ経済ではなく、徳川の米経済に軸足を置いているしなあ。 N:「古九谷」も売ろうという気配はありませんね…

(3)世界を見据える

N:ところで、先生、利常の目は世界に向いていましたかね? 私:利常は世界を見据えていた。東インド会社を通じてデルフトに注文した「和蘭陀白雁香合」(県美)をみても、利常の目は世界に向いている。 N:中国へは? 私:中国への高い関心は『八種画譜』の…

(2)改めて後水尾天皇の「文化サロン」とは?

N:改めて後水尾天皇の「文化サロン」を教えてください。 私:江戸幕府が日本を支配し、平和な時代が到来して、寛永文化が花開く。京都では対徳川を意識して後水尾天皇がその文化の中心になり、朝廷に「文化サロン」ができる。身分にとらわれなかったために…

(2)改めて後水尾天皇の「文化サロン」とは?

N:改めて後水尾天皇の「文化サロン」を教えてください。 私:江戸幕府が日本を支配し、平和な時代が到来して、寛永文化が花開く。京都では対徳川を意識して後水尾天皇がその文化の中心になり、朝廷に「文化サロン」ができる。身分にとらわれなかったために…

利常を見直そう(1)勤王の顔

私:今度は利常を追おう。利常のコアに迫りたい。利常は、信長や利休と違い、平和な世(元和偃武)を生きた。豊臣か? 徳川か? キリスト教か? 天神信仰か? 利常には、じつは、次第に小さなことになっていった。 N:そうなのですか?。 私:時代が利常をそ…

(9)利休の子孫たち

私:しかし、時間がたてば、2人の天才にも差がついてくる。人気は信長が利休をはるかに凌ぐ。 N:信長と利休、2人の天才につく差とは? 私:今、信長の家系はどうなっている? 利休の家系は? N:利休の家系は、表千家、裏千家、武者小路千家となり、続いて…

(8)キリスト教で戦国時代を終わらせる

私:信長と利休、この2人はとても眩しい。日本歴史史上屈指の人物だ。秀吉や家康にしろ、清盛や頼朝にしろ、彼らは覇権争いの勝者であるに過ぎない。 N:宗教があるか? 宗教がないか? それが違いということですか? 私:武力では人心を支配できない。人心…

秀吉の利休切腹の真意

N:このような利休をいったい誰が理解できたでしょうか? 信長だけでしょうね。 私:秀吉は理解した。 N:え! 私:しかし、秀吉は理解したがゆえに利休に切腹を命じた。 N:え! 私:利休切腹と秀吉の禁教令の時系列を確認すれば、利休切腹は1591年。右…

秀吉の利休切腹の真意

N:このような利休をいったい誰が理解できたでしょうか? 信長だけでしょうね。 私:秀吉は理解した。 N:え! 私:しかし、秀吉は理解したがゆえに利休に切腹を命じた。 N:え! 私:利休切腹と秀吉の禁教令の時系列を確認すれば、利休切腹は1591年。右…