古九谷を追う&古九谷を残す

週1くらいの更新になります

2020-12-02から1日間の記事一覧

(7)利常と茶人たちとの距離

私:もう「茶人を見直そう」を締めくくろう。利常が茶人たちをどう見ていたかのか? 利常の評価基準に基づいて、3人の茶人たちを改めて語り直そう。 N:利常の基準は何だったのでしょうか? 私:利常の評価基準は「魂」であり、利常が好んだのは、利家や信…

(6)小堀遠州はキリシタンか

私:さてここからは遠州はプロデューサーか? それに答えを出そう。 N:遠州がプロデューサーでないとすれば、遠州は何になるんでしょうか? 私:アドバイザー&コーディネーターかな。もしそうなら、遠州は単なる茶の職人だということになるね。・ N:じつ…

(5)小堀遠州と綺麗さび

私:次は遠州の美意識に移ろう。遠州は「古九谷」の作風を決定づけた。その作風を綺麗さびという。 N:綺麗さびとはどういう作風なのでしょう? 私:わびさびから脱却して誰からも美しいといわれる美が綺麗さびで、その美をさらに誰もが驚嘆する美へと「古九…

(4)小堀遠州

私:宗和に引き続いて、小堀遠州を語ろう。前田家と小堀家の親密な関係は、前にも述べたが、遠州没後に前田家は甥と孫を召抱えているくらいだ。では遠州はほんとうに「古九谷」のプロデューサーなのか? N:そこですよね、問題は。ここまでの先生の話の展開…

(3)金森宗和

私:次は金森宗和を語ろう。宗和は野々村仁清(京焼色絵の祖)の御室窯をプロデュースした人物で、仁清を色絵の世界に導いた。県美の第1展示室には国宝の「雉香炉」と重文「雌雉香炉」のみが常設展示されている。 N:いいものが県美にありますが、何か理由で…

(2)茶人 古田織部

私:さて、茶人の織部を語ろう。織部は漫画『へうげもの』(山田芳裕)で一躍世間に知られるところとなる。作蔵君は読んだかな? N:はい。織部に限らずどの登場人物も欲があり、人間臭くて、司馬遼太郎の『国盗り物語』のようでした。 私:ほお。利休の茶の…

茶人を見直そう(1)茶人とは

私:ここからは茶人を語ろう。古田織部、金森宗和、そして小堀遠州と進めよう。 N:そもそもですが、茶人とは? 私:茶人、茶人と気安く言うけれど、織部や遠州は大名だ。織部は山城西岡藩3万5000石の大名で、遠州は近江小室藩1万5000石の大名だ。 …

(4)信長後継

N:利常も、利家同様、信長後継を秘かに思っていたのでしょうか? 私:利常からはゼニの匂いがしない。「改作法」は利常の成果だけれども、織田のゼニ経済ではなく、徳川の米経済に軸足を置いているしなあ。 N:「古九谷」も売ろうという気配はありませんね…

(3)世界を見据える

N:ところで、先生、利常の目は世界に向いていましたかね? 私:利常は世界を見据えていた。東インド会社を通じてデルフトに注文した「和蘭陀白雁香合」(県美)をみても、利常の目は世界に向いている。 N:中国へは? 私:中国への高い関心は『八種画譜』の…

(2)改めて後水尾天皇の「文化サロン」とは?

N:改めて後水尾天皇の「文化サロン」を教えてください。 私:江戸幕府が日本を支配し、平和な時代が到来して、寛永文化が花開く。京都では対徳川を意識して後水尾天皇がその文化の中心になり、朝廷に「文化サロン」ができる。身分にとらわれなかったために…

(2)改めて後水尾天皇の「文化サロン」とは?

N:改めて後水尾天皇の「文化サロン」を教えてください。 私:江戸幕府が日本を支配し、平和な時代が到来して、寛永文化が花開く。京都では対徳川を意識して後水尾天皇がその文化の中心になり、朝廷に「文化サロン」ができる。身分にとらわれなかったために…

利常を見直そう(1)勤王の顔

私:今度は利常を追おう。利常のコアに迫りたい。利常は、信長や利休と違い、平和な世(元和偃武)を生きた。豊臣か? 徳川か? キリスト教か? 天神信仰か? 利常には、じつは、次第に小さなことになっていった。 N:そうなのですか?。 私:時代が利常をそ…