古九谷を追う&古九谷を残す

週1くらいの更新になります

前田利常が九谷で作らせた「古九谷」

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私:ここからは大きく話題を変え、歴史的なアプローチで「古九谷」に迫ろう。

N:え! もう芸術的なアプローチは終わりですか? もう少し……。

私:では、歴史的なアプローチを終えてから、締めっくくりにふたたび芸術的なアプローチから「古九谷」に迫るね。乞うご期待と言ったところで……。さて前田利常の「古九谷」プロジェクトが「古九谷」を誕生させた。スポンサーは利常で、プロデューサーが小堀遠州、金森宗和だ。、狩野だ。

N:プロデューサーとは?

私:茶人だな。利常は「芸術を利休の茶事の世界の完遂」と考えている。その方向性に基づいてスタッフを人選した。

N:スポンサー利常は?

私:現存する伝世の「古九谷」にはある一定の方向性がある。それはスポンサーが利常だからであり、それを「利常好み」という。利常好みとは「武家好み」で、武士の力強さがあり、だからこそ京の後水尾天皇とは、文化政策が瓜二つであっても、一線を画するのだ。

N:ほう。

私:利常は遠州に「武家好み」の方向性を与えた。遠州自身が武士(2代備中松山藩主、のち初代近江小室藩主)。それゆえに利常の命令を完全に理解できた。

N:「古九谷」には王朝文化が感じられないのはそのためだったのですね。

私:前田家は遠州なき後も小堀家を大切にしていて、遠州の甥と孫を召抱えている。

  • 古九谷を追う 加賀は信長・利休の理想郷であったのか(幻冬舎)抜粋