古九谷を追う&古九谷を残す

週1くらいの更新になります

利常は「傾奇者」(1)鼻毛、立ちション、陰嚢

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私:ここからは人間利常に迫ろう。じつは利常は金沢では人気がない。前田家をよそ者だと思う石川県民は少ないが、しかし利常をよそ者だと思う金沢市民は意外に多いのだ。

N:どうしてなのでしょう?

私:利常は利家とまつの子ではないからだな。金沢では利家とまつファーストで、なによりも利常のまつへの仕打ちに金沢市民はとくに納得がいかないようなのだ。

N:利常のまつへの仕打ち?

私:まつの血を唯一伝えるのは前田土佐守家(初代利政)。その土佐守家が加賀八家最小にとどめおかれ、しかもその扶持のほとんどがまつからの相続分だというのに及び……。その仕打ちは何だとなっている。

N:徳川への忖度でしょう。

私:しかも利常は「鼻毛」の殿様で、「立ちション」の殿様なんだから、金沢市民は納得しない。栄光の加賀百万石を貶める気か!

N:鼻毛、立ちション以外のエピソードもあるのでしょう?

私:満座の中で「陰嚢」を晒す。

N:もういいです。

私:利常の「鼻毛は3センチ」には利家や前田慶次ゆずりの「傾奇者」の気風があるんじゃないかな? そうそう、利常は利家ゆずりの体躯で大男だったそうだよ。利家と利常は絶倫の家系で、当時は子だくさんは当たり前とはいえ、利家とまつは21年で11人。側室はちよ(利常母)を含めて5人。子供は7人。

N:利常は?

私:珠姫に9年で8人。側室は5人いて、子供は5人。つまり、子供の数では、利家は18人、利常は13人だ。

N:絶倫でしょう!

私:作蔵君、珠姫との仲睦まじさに利常の置かれた状況がかえって見え隠れしないかい?9年に8人だろ。その異常な出産は利常の苦境と孤独を表していないかな? 珠姫は若くして死ぬ(23歳)。そして利常はますます苦境と孤独に陥る。

N:利常は今もって金沢市民に愛されないくらいですから、当時の金沢城では一体どうだったでしょうかね。しかも利常は一人っ子でしょう? まわりはすべて敵だったでしょうね。

私:利常は自分が寄って立つ基盤は徳川だと自覚していた。無情にも徳川が利常を守り育てていたのだ。

N:ところで利常の母(ちよ)について少し教えてください。

私:越前府中(武生)で、まつの侍女となり、那古屋城朝鮮出兵)でちよ(24)は利家(57)の側室となる。

N:まつには金沢に尾山神社がありますが、ちよの史跡はどこにありますか?

私:能登羽咋に妙成寺がある。その妙成寺の五重塔の落成式にちよは江戸から駆けつける。江戸へ人質に出てわずか4年後のこと。一方まつは息子利長の葬儀にさえ立ち会えず、なんと15年間も金沢へは帰れなかった。そのことを知る金沢市民は心穏やかなはずはない。

 

●古九谷を追う 加賀は信長・利休の理想郷であったのか(幻冬舎)抜粋