古九谷を追う&古九谷を残す

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(7)「青手(塗埋手)古九谷」は信長と利休の「古九谷」だ

色絵鶴かるた文平鉢 古九谷 | 所蔵品のご案内 – 石川県立美術館

 N:もうこれで最後のリクエストです。信長・利休から「古九谷」への流れですが、もう一歩突っ込んだ話が聞きたいのですが……。

私:作蔵君、ありがとう。そのことを語りたかったのだよ。これからが私の新「古九谷論」の結論になる。さて「古九谷」を絵画性で分類するとき、「色絵」(九谷五彩)と「靑手(塗埋手)」(九谷二彩、九谷三彩)になる。信長・利休の「古九谷」への流れの最終到達点は、じつは青手(塗埋手)なのだ。青手(塗埋手)の最高傑作は「桜花散文平鉢」(県美)と「兎渡海図」(イセ文化基金)で、それらには利休のわび・さびの世界観が表現されているんだ。

N:ほお。先生、ひさびさに大きく出ましたね。

私:青手(塗埋手)は、もともとは、古九谷窯の生地が悪かったので、その欠点をカバーするために、生地を全面塗り埋める技法だった。「桜」も「兎」も緑と黄の九谷二彩だ。

N:九谷二彩の緑と黄は色彩が調和しますね。その緑は利休・織部の抹茶の色なのでしょう? 

私:油絵で例えれば、青手(塗埋手)には印象派のような明るさはまったくない。ゴーギャンピカソの青の時代のような感じがする。では「桜」に絞り込んで具体的に話そうかな。「桜」は全面を緑一色で覆っている。地文様には黒で菊小紋が全面に描きこんである。桜の花や葉は青だ。九谷では梅や椿や桜は青で描く。そもそもピンクが九谷五彩にはないが、中間色を九谷は嫌う。

N:緑は苔で、月夜に桜がひらひらと舞い散るイメージでしょうか? 蛙が水に飛び込む音(芭蕉)と同じように、桜花が月夜にひらひらと散ることで、かえって静寂が増していますね。

私:「静と動」や「生と死」が交錯する利休のわび・さびの世界が「桜」にはある。アクティブな信長の本能寺での死にはなぜか静のイメージがあるし、敦盛の舞も同じ地平線上にある。それは墨絵とか水墨画とかの世界や青呉須による染付の世界に近く、もっと言えば、楽長次郎の赤茶碗、黒茶碗にも似た深い味わいが「桜」にはあるということだ。 

N:西洋にはない世界でしょう?「古九谷」の「色絵」は200年後にゴッホマティスが追いついて来たとも言えますが、「青手(塗埋手)」の名品は独走しているでしょ? 

私:そうだね。特に「桜」は唯一無二の作品で、利休の魂が宿っている。

N:西洋にはない世界でしょう?

私:たとえばフェルメール。利休の世界に光と影の表現で迫っていないかな? 「真珠の首飾りの女」の光の使い方は、中世の画家が描く薄暗い教会に射す一筋の光と同じ意味合いがある。それが西洋における「青手(塗埋手)」の世界なのかもしれない。しかし、西洋における「青手(塗埋手)」の世界にはどこをどう探しても動のイメージはない。

N:フェルメールといえども、「桜」の世界とは程遠いですよ。

私:これまでの「古九谷」の私の話は、私の好みの「色絵古九谷」が中心であった。「色絵古九谷」の名品は鷹峰だが、しかし、「青手(塗埋手)古九谷」は鷹峰ではなく、加賀であることは論をまたない。再興九谷の雄・吉田屋窯がそれを雄弁に証明している。

N:今の「青手(塗埋手)古九谷」の話で、私も伊万里説がちゃんちゃらおかしく思えてきました。今の先生の話をこうまとめてみました。正しいでしょうか? 「古九谷」には2つの山脈があり、1つの山脈は利休のわび・さびの「青手(塗埋手)古九谷」、もう1つの山脈は脱利休の遠州の綺麗さびの「色絵古九谷」です。「色絵古九谷」は硲伊之助と武腰潤氏に受け継がれましたが、「青手(塗埋手)古九谷」は……。

私:「青手(塗埋手)古九谷」はほんとうに誰に受け継がれるのだろうね。

 

●古九谷を追う 加賀は信長・利休の理想郷であったのか(幻冬舎)抜粋