古九谷を追う&古九谷を残す

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利常「名君」伝説を覆す(2) 夏の陣

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私:次は夏の陣だ。岡山口の陣容は一番隊大将利常、二番隊大将井伊直孝、本陣は秀忠だ。

N:しかし利常は、夏の陣では、首を3000あげて汚名を返上したでしょう?

私:利常軍1万5000  vs 大野治房4000。治房は秀忠の首を狙う。幸村が家康の首を狙うのと同じ戦法だ。

N:もしかして秀忠も家康同様逃げまどったのですか?

私:そうだな。一番隊利常、二番隊直孝が崩され、秀忠軍は逃げ惑った。

N:秀忠は持ちこたえたのですよね? 家康が持ち直したように。

私:大坂の陣後16年。利常は陣の再吟味(論功行賞の見直し)を行う。それが幕府の嫌疑を受け「寛永の危機」が勃発する。

N:陣直後は加賀藩には家臣に恩賞を与える余裕がなかったのですね。

私:そうだね。ところで、作蔵君、家康からの陣後の恩賞が「四国一円」だったことは知ってるかい?

N:知りません。

私:四国は面積は広いが、90万石。加賀藩よりも30万石も少ない。それゆえ利常と恩賞を辞退した。しかし恩賞を辞退したことが思いがけない禍根を残した。陣後に利常から恩賞をもらえない家臣たちの不満が藩内に鬱積したからだ。

N:何か証拠でも?

私:家臣の日記が残っている。大坂の陣は利常の威光を見るも無残に地に落としたのだ。

 

●古九谷を追う 加賀は信長・利休の理想郷であったのか(幻冬舎)抜粋